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破鏡の嘆き

 

 南朝最後の王朝陳国が隋に滅ぼされたのは紀元589年のこと。戦乱の中で、楽昌公主とその夫徐徳言は離ればなれになった。二人がそうなる前、徐徳言は銅の鏡を二つに割ってこう言った。「半分ずつ持ち合い、他日の再会を期そう」翌年、都に戻った徐徳言は、たまたま半分に割れた銅鏡を売っている年寄りに出会った。見ると、まさしく、妻に与えたものだ。

 

 そこでかれは、大事に持っていた自分の半分の鏡をとりだして、一つに合わせ、その上に詩を一首書き留めた。

 

 鏡 人とともに去る

 鏡 帰るも人帰らず

 復 嫦娥の影無く

 空しく留まるは 明日の輝きのみ

 

 一方、楽昌公主は、陳がほろんだあと、隋の武将楊素のものになり、歌姫になっていた。この話が伝わって、公主は夫が無事だと知り、わっとばかりに泣き伏した。楊素は事情を問いただし、二人が再び仲むつまじく暮らせるようにとりはからってやった。

 

 後世、この故事から「破鏡の嘆き」の成語ができ、はなればなれになった夫婦が再び一緒になることのたとえとして使われるようになった。

 

人民中国インターネット版

 

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