宋の太祖趙匡胤(927~976)は文人官僚をひどく軽んじていたので、その態度を変えてもらおうと、翰林学士の一人陶谷は、自分たちの仕事はそれはたいへんで、並べの者にはできないと、太祖に言った。「お前たち翰林院の者は、一日中墨や筆をひねくって、昔の規章法典を書き写したり、私の言葉をそのまま書き取ったりするだけだ。ひょうたんの絵をみてひょうたんを描くような仕事が、なにがたいへんだ」と太祖は笑った。
がっくりした陶谷は、「官職有れば須らくなすべし、才能もちいる処の無さを憂えず、笑うべし翰林の陶学士、一生、ひながたに依って葫蘆を画く」と自嘲の詩を作った。
後世、まるきりの模倣で創造性に欠けることを「手本どおりにひょうたんを描く」というようになった。
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