監督 金チン
2006年 中日合作 119分
10月日中同時公開
あらすじ
1914年、婚約者に痴漢行為を働いた男を殴り大怪我をさせた劉浪は禁固15年の刑を言い渡される。獄房で占いを得意とする老良頭と知り合い、激昂しやすい劉と温厚な良とは塀の中での友情を育む。しかし、婚約者が自分が殴った男に犯され、自殺したことを知ると劉は脱獄を図り、夫殺しの罪で受刑中に自殺を図った周紅と共に罰として豚小屋掃除をさせられるうち、二人の間には思慕の情が生まれてくる。二人の恋をそっと応援する良。そんなある日のこと、野外での労働作業中に谷底に落ちた周紅を助けるため、谷底に飛び降りた劉と周紅は桃源郷のような「天の穴」で結ばれる。そのまま脱走しようかと迷う劉に周は共に刑期を務め上げ、晴れて結婚しようと誓わせるのだった。
やがて、「満州国」の時代になると、男女の監獄は別々にされることになり、二人は顔を合わせることも適わなくなる。それから、さらに10年以上が過ぎ、国共内戦が終わり、恩赦で監獄を釈放された劉はようやく周紅を捜し当てる。
解説
35年にわたる獄中の恋と友情の物語。監督は『インターネット時代の愛情』『菊花茶』など、静謐なロマンが漂うラブストーリーを得意とする金陦。主演の中井貴一がプロデューサーを務めた中日合作映画である。
中日合作はなぜか失敗作が多いというのが私の感想で、それは中国と日本のあまりにも違う映画製作の方法がうまく融合できないからなのか、お互いに妥協を迫られるせいなのか、とにかく中途半端な出来の物が過去には多かった。合作ではなく、純粋に中国作品であっても、物語の舞台が中国と日本にまたがり、中国の監督が日本で撮るとダメになってしまう例が多い。張暖キンの『雲南物語』しかり、許安華の『客途秋恨』しかり、謝晋の『乳泉村の子』しかり。いずれも中国で撮影した部分と日本で撮影した部分がドラマも映像も、木に竹をついだように雰囲気が違ってしまっている。そうした悪しき前例を知り尽くしているからだろう、張芸謀は『単騎、千里を走る。』で、日本での部分を自分は監督せず、降旗康男監督、木村大作撮影監督ら、日本の東宝のスタッフに完全に撮影を任せたが、それはそれでまったく違う2つの映画を1つの作品の中で見ているような具合だった。中日合作はことほどさように難しい。
だが、この作品は中日合作とはいえ、日本は資金を出しただけ、中国映画と何ら変わらず、主演に日本人男優が出ているだけであるので、むしろ、姜文の『鬼が来た!』や霍建起監督の『暖』に近く、自然な形で日本人と中国人の俳優が映画の中で存在していて、無理がない。地味な題材に真摯に取り組んだこの作品はそういう点でも好感が持てるが、30代の若い監督の作品のわりには、あまりに伝統的な手堅い中国映画でありすぎて、目新しさ、清新さに欠ける点が残念。
見どころ
中井貴一さんは中国での前作『ヘブンアンドアース』の雪辱を果たすかのような熱演である。ただ、『ヘブンアンドアース』では中国語の台詞をすべて彼が喋っていたが、今回はほとんどが吹き替えである。香川照之、真田広之、仲村トオル、中村獅童と日本人男優の中国映画出演が続いているが、中井貴一さんほどどっぷりと長期間中国での撮影に挑戦している俳優もいないだろう。その甲斐あって、他の中国人キャストともまったく違和感なく、見事なコラボレーションを見せている。私はたまたま去年の東京国際映画祭に来日したもう一人の主演の郭涛の通訳をした折りに、撮影の合間に日本に一時帰国していた中井さんが郭涛を東京は芝にある高級豆腐料理店でもてなした席にご相伴に預かる機会があった。その時の二人がとても和気藹々とした雰囲気だったことから予想していた通りに、二人の呼吸がよく合った演技が特に素晴らしかった。
映画の中で蒋介石の声を演じているのは監督の金陦で、蒋介石の寧波訛りの再現が見事で、一言も聞き取れなかった。国民党時代の監獄の長官を演じているのは、やはり監督の張一白の友情出演である。中国の監督には伝統的に芸達者が多いようだ。
1914年から1948年までの中国東北の政治の動乱が監獄の中にいても伝わってくるという時代背景の描き方もなかなか面白い手法である。
水野衛子 (みずのえいこ) 中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
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