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【楊さんの一言】職場も競技場と一緒、毎日が勝負です。だから毎日とても充実しています。
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6歳から水泳を始めた。体育学校で専門に水泳を学んだあと、トライアスロンの選手になった。
アジアの大会に参加したときのこと。水泳、自転車の二種目が終わり、最後のランニングの時点で、先頭は一緒に参加していたチームメイト。彼は1000メートル先を走っていたが、あきらめることなく、最後の力をふりしぼった。そしてとうとう追いつき、ゴール間際で「ファイト」と小さく声をかけながら追い抜いた。二着になったチームメイトは、心の底から祝福してくれたという。
将来を有望視されていたが、訓練中、アキレス腱を切ってしまい、競技に戻ることはできなくなった。
競技生活から離れた今でも、コーチの言葉が頭に染み付いている。「一番にならなきゃダメだ。二番だろうがビリだろうが同じ」
今年2月、所属するクラブのスポーツ部の責任者になった。クラブでもっとも若い管理職だ。(楊振生=写真・文) |