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安徽省・南屏村 千年の古民家たたずむ『菊豆』の故郷

 

南屏村の朝

五方向に分かれる「交差点」。教わらないと、間違いやすい

氷凌閣は二階建てで、二階からは邸内や遠くの山が一望できる

民家の門や窓にほどこされた木彫

程亜輝さん、韓栄さん夫妻が古式ゆたなか邸内で、古い民芸品を売っている



 

 南屏村で、人に最も深い印象を与え、なおかつ特徴のある建築といえば祠堂群だ。「イ県の旧習は、宗法(家父長制)を重んじ、姓(一族)ごとに祠をもつ。(それは)分派の別に、支祠となる」といわれる。村にはいまも八つの祠堂が保存され、そのほとんどが村の前方の長さ約200メートルの中軸線上に位置している。村全体が共同で祭る「宗祠」もあれば、分派の「支祠」もあり、また一家族や数家族の「家祠」もあるという。宗祠は壮大な規模であり、家祠は小さく精巧だ。それらは古風な趣や神秘的な色彩をもつ祠堂群となっている。

 

尚素堂は八大祠堂の一つで、清代末期に建てられた。当時の流行が反映されて、西洋風に装飾された



 葉家の宗祠は、「叙秩堂」とも呼ばれる。村の中心部にあり、敷地面積は2000平方メートル。ほとんどが明の成化年間(1465~1487年)に建てられたものだ。正門の上に「欽点翰林」という金文字の扁額がかけられており、祖先の偉業を表している。祠堂の門楼(屋根つきの門)は高大で、その中には人の背丈ほどもある石造りの太鼓が一対置かれていた。精緻な彫刻がみごとなものだ。

 

 正門を入ると、この大建築を支える80本の太い柱が目に入った。外側から順に下、中、上の三つの広間があり、下の広間は音楽を演奏するところ。舞台で芝居をすることもできる。中の広間は祭祀の儀式を行うところ。上の広間は「享堂」で、本族(本家)の祖先の位牌が祭られている。中と上の広間では、数百人を一堂に集め、儀式を行うことができるのだという。叙秩堂は、張芸謀監督が『菊豆』のロケに使った主な場所だ。いまでも撮影当時のセットがそのままに残されている。壁には『菊豆』のスチール写真が掲げられ、堂内には布を染めたり、干したりした棚、布の巻き上げ機、染料穴などの道具や設備が配されている。「老楊家染坊」という扁額も、正門上部に掛けられていて、観光客の目を楽しませているようだった。

 

祠堂の正門わきにある石造りの太鼓。美しく精巧な彫刻がほどこされている

石彫のある門楼


 南屏村の民家建築は、高い壁といりくんだ路地が縦横に交差している。路地を抜けると、なんとも神秘的な印象を受けるだろう。そして迷子になりやすい。いささか窮屈さを覚える狭い路地を抜けて、そのそばの門楼から中庭に入ると、目の前がパッと明るくなるような感覚を受ける。徽派建築は、高くて明るいという特徴がある。中庭によって採光し、封鎖された中に自然との調和を求めているのだ。広間や寝室、屏門(邸内の入り口などに設けられる、折りたたむことのできる屏風門)、閨房(女子用の居間)などは、それぞれ工夫が凝らされていた。室内装飾はほとんどが対称的で、家具が整然と並べられていた。

 

 小洋楼のそばにある「氷凌閣」は、徽派民家の特徴をじつによく備えた建築物で、200年以上の歴史をほこる。正門を入ると中庭だ。その庭の左に母屋が、右に円形の回廊がある。回廊は全体が木造建築で、「氷梅百鳥」(花鳥)を主とする精美な木彫がほどこされている。その正面は二階建ての木造建築で、二階はもともと閨房だった。二階からは邸内の全体像や遠くの山が一望できる。

 

 氷凌閣には程亜輝さん(38歳)と韓栄さん(33歳)夫妻、それと八歳の子どもが住んでいた。邸宅は韓栄さんの曽祖父が建てたもので、曽祖父はかつて「銭荘」(旧時の私営金融機関)を経営していた。ここ数年は南屏村への観光客が増えており、氷凌閣も観光スポットとなっている。夫妻はこの商機をとらえて邸内で店を開き、古い民芸品を売っていた。観光シーズンともなると、連日多くの観光客がやってくる。二人の素朴で温かな接待により、その商売もなかなか繁盛しているようだ。  (魯忠民=写真・文)  

 

人民中国インタ-ネット版

 

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