祭事に忙しい一年
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住居の下の部分にある窓は、敵が入ってきた時に射撃口として使っていた |
任さんは、黒虎寨と谷間に向き合った山腹に住んでいる。いつも黒虎寨やそれ以外の村で行われる祭祀に行く時は、谷間を渡り山を越えて行くため、体はとても丈夫だ。祈祷師は、豊富な知識と占いの技術が必要で、任さんも12歳から祖父について学び、26歳でやっと祈祷師になった。黒虎寨では1年に、どのぐらい大切な祭祀をするのかと尋ねた。
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任さんが祭祈の時に使う様々な法器 |
「旧暦正月9日の上陽会、2月19日の観音会、真武大帝の誕生日の3月3日の娘娘会、4月8日の灌仏会、5月5日の端午の節句、6月13日の竜王会、7月15日の玉帝会、9月19日の観音会、10月18日の地母会、11月19日の太陽生など、この日になると、村の人たちは鶏をしめ羊をつぶしてお礼参りをします。私もその行事を中心に執り行い、神に願い事をするのです」
話に熱が入っていた任さんは、祭祀に使う法器の響盤や、卜骨、鷹の頭骨、豹の頭骨、熊の牙、イノシシの牙、人間の骨、卦、法螺貝などを、一つ一つ出してきた。任さんはその他にも、山林がむやみに伐採されないために、毎年村で山神を祭る行事や、各家の冠婚葬祭にも呼ばれる。
49日の供養
任さんは山の上の住居を指差しながら、先日、村人の楊万成さんの母親が亡くなり、今日はちょうど49日に当たると言う。親戚や友人が墓に行くというのを聞き、楊さんの家を訪ねた。
楊さんの家の入り口には、祖先をしのぶための対聯と、家を守る二枚の護符が貼ってあった。上には、「勅令竜吟福宅伏コウ鎮位 勅令虎嘯祥門伏コウ鎮位(竜と虎が勅令を受けて、悪魔を払い家を守る)」と書いてあり、それは、任さんが書いたものだということがすぐに分かった。
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49日の供養の様子 |
母屋の正面には、「天地親師」と書かれた位牌が安置されていた。楊家の人は供え物の準備に忙しそうで、野菜を洗いご飯を炊いて、供養が終わったあとの食事も用意していた。門前には、弔いのために使う線香や爆竹などを持った親戚や友人たちが、多く集まってきた。
お昼の12時、爆竹やチャルメラ、銅鑼、シンバルの音が響き、49日の供養に行く人たちの列が出発した。山腹に着くと、持って来た供物を並べ、楊家の人たちは墓の前にひざまずき、泣いて故人を弔った。
麓には黒虎将軍の墓と、当時、村を守った戦いの跡が、うっそうとした林の中にそのまま立っていて、ひっそりと昔の歴史を語っているようだった。(劉世昭=文・写真)
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