年越しのムードは何処へ
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郊外へ行って花火を上げ爆竹を鳴らす都市の人々 | だが、このような静けさはそう長くは続かなかった。
北京に住む張東華さん(48歳)。花火や爆竹の使用禁止には賛成している。「新聞で花火や爆竹でケガをして、ひどいときには眼球を失ったというニュースを読んで、このような状態は絶対に変えるべきだと思っていた」と話す。しかしその一方、どこか寂しさも感じている。「私が子どもの頃は、爆竹の音の中で古い年が過ぎ去っていくのを知ったものです。春節に爆竹が鳴るのを聞いてはじめて、自分も一つ大きくなったのだと感じた。今は、大晦日のテレビ番組が面白くないため、私たち一家はギョーザを包みながらチャンネルをいろいろと回す。それでも満足できる番組がないので、隣近所の人たちと郊外へ行って爆竹を鳴らします。こうすれば、爆竹の音も聞こえるし、人をケガさせる心配もありませんから」
張さんと同じように考えている人は少なくない。禁止後数年は、爆竹の音はまばらだったが、最近は増えてきている。爆竹を鳴らしに行かなかったとしても、年越しのときに爆竹の音がないのは寂しいと考える人は多い。静かな除夜というのはなんだか落ち着かず、年越しの趣がないのだという。特に年長者はこのように感じる人が多いようだ。
5環路の外では爆竹を鳴らしてもいいことになっているが、多くの人はこれに満足していない。除夜に花火を上げ爆竹を鳴らすのは、単なる遊びではなく、特別な民俗的意味が含まれているからである。大晦日の深夜零時、俗に「一夜が二つの年につながり、五更(一夜)が二年に分かれる」といわれる時間に自宅の周辺で爆竹を鳴らしてこそ、福を迎えるという喜びの意味があるのだ。
市街区では花火や爆竹の使用は禁止されているが、それを取り締まるのは難しい。ある取り締まり員は、これはいたちごっこのようなものだと話す。花火や爆竹の音を聞いて現場に駆けつけると、音だけで人影は見えない。たとえ人がいたとしても、誰が鳴らしたのかは確かめようがない。「証拠をつかむのが難しいだけでなく、もし嫌疑者を見つけたとしても、ただ説教するしかない。年越しは誰もが喜び楽しみたいものです。もし逮捕したら、その人とその家族の一年は気分が悪いものになってしまいますから」
近年、社会環境の変化と爆竹の使用禁止により、人々はかつてほど伝統的な春節を重視しなくなった。春節の長期休暇を利用して旅行に出かける人も多い。家にいても年越しのムードがないため、遊びに行くほうがいいと考えるからだ。伝統文化の喪失を嘆く人も増えた。彼らは、快く響く爆竹の音の中に年越しのムードを見つけ出し、かすかに漂う火薬の香りの中に祝いのムードを嗅ぎ取りたいと願っている。
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