中国・オリンピック雑学

 

光緒帝 王正廷  何振梁 


◇清の光緒帝――オリンピック招待状を受けた最初の中国人 

1894年、国際オリンピック委員会は中国政府(当時の清政府)に招待状を送り、ギリシャで開催された第一回オリンピックへ中国を招いた。しかし、清政府の人々は「オリンピック」がどのようなものだか、全く知らなかったため、第一回近代オリンピックには不参加となった。

 

◇王正廷――国際オリンピック委員会(IOC)委員に選ばれた最初の中国人 

王正廷(1882-1961)、浙江省奉化の出身。1922年、中国の体育分野の著名な指導者であった王正廷氏はIOC委員に選ばれた。これは、中国初のIOC委員であり、極東地域においては、第二番目のIOC委員ともなった。

 

◇何振梁――新中国初の国際オリンピック委員会高官 

1929年江蘇省無錫市生まれ。何振梁氏は1981年、国際オリンピック委員会委員となり、1989年、国際オリンピック委員会副主席(副会長)に当選。何氏は、新中国オリンピック委員会主席(会長)、中国体育運動委員会副主任も歴任、中国の「スポーツ外交家」とも呼ばれた。

 

◇馮有真――オリンピックを取材した最初の中国人記者  

1905年張家港市西港鎮生まれ。1936年、第11回オリンピック大会はドイツのベルリンで開催された。中国政府は初めて69人からなる選手代表団を送り、取材のため、同行記者一人も派遣した。当時、中国政府筋の通信社である中国中央通信社南昌支社の社長を務める馮有真氏は流暢な英語を評価され、政府筋通信社の記者としてベルリンに派遣され、同大会を取材。オリンピックを取材した最初の中国人記者となった。

 

劉長春 陳鏡開  楊伝広


◇劉長春――オリンピックに参加した最初の中国人 

1909年大連市生まれ。1932年7月30日、第10回オリンピック大会はアメリカのロサンゼルスで開催され、37カ国から、選手1048人が大会に参加した。中国は6人の代表団を送ったが、選手は劉長春のみだった。試合前に正規のトレーニングはせず、21日もの太平洋上の旅程に疲れ果てた劉長春は陸上の男子400メートルを放棄、男子100メートルと200メートルの予選に出場したが、それぞれ第5位と第6位となり、決勝進出には至らなかった。こうして、劉長春はオリンピックに正式に参加した最初の中国人となった。

 

◇陳鏡開――銀の「オリンピック勲章」を獲得した最初の中国選手 

1935年生まれ、広東省東莞市の出身。陳鏡開は新中国スポーツ事業の開拓者で、1950年代の著名な重量挙げ選手である。1956年から1964年にかけての10年間、陳は世界記録を10回も更新した。彼は中国初のスポーツ世界記録を更新した選手であると同時に、生涯をかけて中国でのオリンピックの普及に尽力したため、国際オリンピック委員会から銀製「オリンピック勲章」を授与された。これは中国選手が始めて獲得した光栄である。

 

◇楊伝広――オリンピックメダルを獲得した最初の中国選手 

1933年生まれ、台湾東市の出身。1960年の第17回ローマ大会で、中国台北から参加した楊伝広は、陸上十種の銀メダルを獲得した。彼はオリンピックメダルを獲得した初めての中国選手であり、第17回ローマ大会の陸上競技においてメダルを獲得した唯一のアジア選手でもある。「アジアの鉄人」と称賛された。

 

 

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