激しい市場競争が「先生」

 

民営企業家 胡亮さん

 

胡亮さんは河北省徐水県の出身。祖先代々、農民だったが、今年30歳になったばかりの彼は「興華鋳造有限公司」という年産1千万元以上の工場を所有しており、押しも押されもせぬ実業家である。

 

500人以上の従業員が働くこの工場は、建築用の各種の鋳鉄製の排水管や部品など合計900種以上の製品を生産している。北京、瀋陽、西安、長沙などに販売会社を設立し、その製品は全国各地のほか、日本やカナダ、アメリカなどでも売られている。

 

父が始めた鋳物工場

 

胡亮さん(左)は工場の管理者と製品の質の問題を検討している
胡さんのこの工場は、父親から引き継いだものだ。1978年、胡さん一家が所属していた人民公社と生産隊は解散した。もともと生産隊が創設した鋳物工場の鋳物職人だった父親は、自分で鋳造工場を開こうと決めた。

 

これは非常に大胆な発想だった。かつては、自分で工場を営むことは資本主義を行うものだと見なされていたからだ。しかし、「改革・開放」がそうした思想的束縛を打ち破った。「豊かになりたい」という考えが工場を開く原動力となった。

 

「当時の農民はあまりにも貧乏で、工場を営むことがもっともはやくお金を稼ぐ方法だった」と胡さんは言う。工場は最初のころはそれまでつくってきた暖房のラジェーターや排水管を生産した。3、40人の従業員はみな地元の農民であった。

 

1996年、高校を卒業した胡さんは、父親の工場で働き始めた。「あの時は、工場の生産、販売、管理をすべて、父一人でやっていました。私は父を助けて雑務をこなし、北京へ販売に行ったりもしました。当時は経営がとても苦しく、北京では地下室を間借りするのがやっとでした」と、胡さんは当時を振り返える。

 

競争が成長を促す

 

1999年前後に、ポリ塩化ビニルのパイプ製品が登場した。この新材料が、一部の鋳物のパイプ製品に取って代わり、伝統的な鋳物のパイプ製品の市場でのシェアを圧迫したため、競争は非常に激しくなった。

 

農民が建てたこの工場は、大きな衝撃に見舞われた。「当時、父は体調が悪く、能力も知識も限界に達していたので、それ以上やって行くのは難しく、工場を私に譲ったのです」と胡さん。

工場を引き受けた当時、胡さんは単に「金を稼ぐ」ということばかりを考えていたのではなかった。都会化が進み、鋳物のパイプは大きなニーズがあった。しかも、ポリ塩化ビニルのパイプ製品より堅固で耐用年数が長いという特性があり、自分の工場は生存と発展のチャンスがある、と胡さんは考えた。

 

激しい市場競争こそ、民営企業の経営者にとって最良の「先生」である。市場のニーズの発展や変化にともなって、民営企業家たちは、これまでの農民意識と近視眼的な行為を徐々に克服していった。工場も次第に品質管理システムや技術規格化、アフターサービスなど、現代企業の管理方式を取り入れた。管理やデザイン、技術、販売などさまざまな分野で専門の人材を招聘し、設備を更新し、新製品や新技術を研究開発し、多元的な製品で市場を占領した。

 

このほど胡さんは、工場の鋳造炉を改造し、粉塵汚染を効果的に低下させた。「環境を汚染すると、工場のイメージや発展に直接影響します。たとえコストが大きくなっても、私たちは環境保護に力を入れなければなりません。これは企業の生存、発展に関わることなのです」と胡さんは言っている。

 

資金繰りに苦労

 

「以前に比べ、今の民営企業はずいぶんやりやすくなりました。政府部門が勝手に費用を徴収するという状況も少なくなり、私たちの負担も軽減されました。もちろん、難題はいつでもどこでも現れてきます。例えば原材料の価格や人件費が上がっても、市場競争の圧力があるため、製品の価格をその分、上げることができません。コストアップによる圧力は、企業自身でなんとか解決しなければいけないのです」と胡さんは言う。

 

さらに大きな圧力は、企業の資金繰りから来る。現在、胡さんと同じような中、小の民営企業は、銀行から金を借りることが難しい。

 

胡さんは、基本的に銀行から金を借りず、できるだけ自己資金でやりくりしている。困難にぶつかると、「三角債」(借金の付回し)で資金をつなぎ、状況が良くなったら返金する。こうしたことは、多くの中小企業にとってやむを得ないやり方なのだ。

 

しかし胡さんは、自分の工場に対し希望を持っている。この数年、国内の建築業界は、製品の品種とデザインの上で、人間や環境に優しいものなど、新しい理念や基準が次第に認められるようになってきている。自分の製品に改善すべきところがあるが、工場が引き続き発展する広々とした前途もある、と胡さんは信じている。

 

メモ

1982年の12回党大会で、国有経済の主導的地位を堅持し、多種の経済様式を発展させるという論断が提起され、中国の非公有経済発展の政策的基礎が定まった。

1997年、15回党大会で、所有制の構造を調整、改善することが今後の経済体制改革の重大な任務であると強調した。

1999年、『中華人民共和国個人独資企業法』が公布された。これは『会社法』『共同経営企業法』に続く、私営企業の市場における権利・義務を規範した第三の法律である。

2002年、中国で初の民間資本による保険会社である民生人寿保険股キン有限公司が設立された。
2004年、中国民営企業の聯想集団(レノボ・グループ)がIBMのパソコン事業を買収した。これにより、聯想集団はデル、ヒューレットパッカードに次ぐ世界第3位のパソコンメーカーとなった。
2005年、中国第一号としての民間資本系航空会社である奥凱航空公司(オーケーエア)が、初の定期旅客便の運航を始めた。

 

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