張飛(167?~221年)は、現在の河北省菘州の人で、三国時代に蜀漢に仕えた。『三国志演義』において劉備、関羽と桃園の誓いを交わし、蜀漢「五虎大将軍」のうち二番目の大将であった。劉備、関羽と共に虎牢関で呂布と戦いを交え、長坂橋では一喝しただけで曹操軍を食い止めた。劉備が帝位に就くと車騎将軍に任じられ、西郷侯に封じられた。221年、関羽の仇を討つために劉備とともに呉へ向けて挙兵するが、出発前に酔っ払って部下を鞭打ち、配下の部将である范疆と張達に襲われて命を落とす。
伝統の戯曲において張飛の隈取りは「黒十字門蝴蝶臉」といい、名前の「飛」を意味する。また場面に応じて「豹頭環眼」(豹のような頭で目をむいた勇ましい顔)の隈取りでも登場する。
今回の隈取りは、1920年に上演された京劇の演目『打曹豹』で、「花臉」(役柄の一種)の名優・コツ寿臣が張飛に扮するときに使った隈取りにもとづいて作られた。
徐州の留守を任された張飛は部将たちと酒を飲み、娘婿の呂布の威を笠に着た曹豹を殴ってしまう。曹豹は張飛が酔っ払った隙を見て呂布に徐州城を明け渡し、張飛は城を捨てて逃げ出す。
『三国志・張飛伝』に、「君子は敬愛するが、小人(身分の低い人)には憐れみを持たず、日ごと健児(兵士たち)を鞭打つ」という張飛の欠点が指摘されている。後世の作家たちの多くが、この欠点をもとに張飛の無鉄砲な性格を描いている。(写真・文 魯忠民)
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