監督 哈斯朝魯(ハスチョロー) 2006年・中国・105分 2008年2月9日より岩波ホールにて公開
あらすじ
1913年生まれの靖奎さんは北京の鼓楼近くの胡同に独り暮らしの現役理髪師。若い頃は京劇俳優の譚鑫培や梅蘭芳、北京を占領していた日本の司令官の理髪もしたことがある。今は何人かの昔からのお得意さんを三輪車で回って理髪する日々。四合院の住まいはそろそろ立ち退きを迫られているが、どうせ自分が生きている間には取り壊しはないさ、と鷹揚に構える一方、更新時期が来たという有効期間20年の身分証のために写真を撮りに行く。だが、出来上がった写真が気に入らず、葬式の遺影には使えないと、馴染み客の孫の素人画家に肖像画を描いてもらう悠々自適の日々だ。
そんな靖さんも、時折訪ねて来ては家計の苦しさを訴える息子には気が滅入るし、お得意さんが次々に亡くなっていくと、己の葬式の心配をせざるを得ない。長年使ってきた古時計はついに停まり、動かなくなるが、靖さんは相変わらず、金魚と死んだお得意さんが残した黒猫と胡同の片隅で暮らしている。
解説
今年94歳の実在の理髪師の靖奎さんが自分自身を演じているというユニークな映画で、靖さんの恬淡とした生活が実に味わい深く描かれる。毎日9時就寝、6時起床、午前中はお得意さんへの出張理髪に散歩、午後はマージャン、食事は好きな物を少量だけ食べる。胡同の片隅の独り暮らしの小さな部屋は質素ながらも清潔できちんとしている。私もこういう晩年を送りたいとつくづく思った。
年老いて尚かくしゃくとし、少し耳が遠いほかは記憶力も反射神経も衰えない靖さんもすごいが、その靖さんに素人やプロの役者を上手くからませ、靖さんの人生訓を映像で語らせた哈斯朝魯監督はなかなかの曲者である。途中、何回か、「靖さん、死んじゃったの?」とハッとさせられるシーンもあり、それを飄々と演じて見せる靖さんがたまらなくおかしい。 独りの老北京の暮らしぶりを描くことで、20世紀に確かに存在した中国人の精神の豊かさと、それをなくしかけている現代っ子を対比させて、北京の失われゆく風景を惜しむように描いた傑作である。
チンお爺さん語録 食べる物を食べて、飲むものを飲んで 人に嫌われないようにしないと。 誰も会いに来ないからって、 だらしない真似はいかん。 動けるうちは散歩に行くことだ。 テレビばかり見てたら、バカになる。 暇ならマージャンでもするといい。 マージャンは頭を使うからね。。。 負けたっていいのさ 鍛錬のためだから 何事もいい加減にするな。 有名人も金持ちも人生は一度きりだからな。 人間 死ぬ時もござっぱり、きれいに逝かないとな。
見どころ
理髪師というより大学の老教授かという上品な風貌の靖さん。若い時はさぞや細面の好男子だったろうと思われる。実際、若い時のあだ名は「姑娘」だったそうで、1930年代に東単の新開路というところにあった日本人経営のカフェーの女給さんとのロマンスもあったらしい。私が「会いたくない 」と聞くと、「きっと、もう亡くなってるよ。あの当時、中国に流れてきて働いていた日本人はみんな貧しい人たちばかりだった。帰国してからも苦労したことだろう。中国も日本も庶民はみんな同じさ。戦争に行って亡くなったのも貧しい人ばかりだった」としみじみと語ってくれた。
靖さんも他の役者さんたちも、その見事な北京語の台詞が耳に心地よい。後海のモツ焼き屋の張さんとその息子、靖さんの雀友たちの言葉には何とも言えない味があり、馮小剛監督がお正月コメディを撮らなくなって以来、久々に北京訛りを堪能できる映画の登場がうれしい。
水野衛子 (みずのえいこ) |
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。 |
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