暖かい春を迎える中日関係
春暖かく、花満開の5月。胡錦濤国家主席は、中日関係の発展を願う中国人民の友好的な感情と断固たる信念を携え、「暖かい春の旅」に踏み出した。(文:高洪・中国社会科学院日本研究所政治研究室主任)
5月の東京に世界が注目している。全世界、とりわけアジアの人々が今回の訪問に注目するのには十分な理由がある。ハンチントン氏はかつて「東アジアの未来の平和と幸福は、中国と日本が共生し、手を携えて共に進む道を見出すことにかかっている」と予言した。彼の他の理論はさておき、国際戦略関係研究の大家として、この言葉には一理ある。中日両国の首脳は会談を通じて両国関係の素晴らしい前景を共に計画する。東アジアの両巨人の握手は、地域、さらには世界に深遠な影響を及ぼす。
筆者は中国国家主席による10年ぶりの日本への公式訪問は、中日関係が紆余曲折を経て、「氷を砕く・氷を溶かす・春を迎える」の3段階の努力の後についに実現した、「共通の戦略的利益の基盤に基づく互恵協力関係」の結果だと考える。私たちは戦略的視点から中国国家主席の訪日を注視する。訪日は両国関係の発展への一里塚であり、両国関係の発展への新たなスタートであり、両国関係の発展への原動力でもあると言えよう。
より広い地理的空間と長い時間的尺度から見ると、中日関係が今日に至ったのには、ある種の歴史的必然と共に、双方が堅持してきたたゆまぬ努力がある。古代中華文明が日本列島に与えた種と養分であれ、近代日本が中国に対して発動した侵略戦争の災禍、およびそれがもたらした中華民族の全民覚醒であれ、中日が同一の発展水準に置かれたことはなかった。戦後は東西両陣営に属し、イデオロギーが分かれ、長期間米国の庇護の下に置かれた日本が対中問題の処理においてひたすら米国を仰ぎ見るばかりになるに至り、中国と日本は「近くて遠い隣国」であり続けた。冷戦終結後の大国関係の調整の中で、中国と日本は初めて互角な総合国力という局面を迎えた。かつてなかったこのような対等性と接近に、両国は相手国との関係をどう調整するかという問題に直面した。「一山は両虎を容れず」なのか?「両強の並立は必然的に衝突を招く」のか?――。焦慮を抱かせる問題が、両国政府と両国に関心を抱くすべての人々の前に現れた。
過去10年を振り返ると、冷戦はもうとっくに終わったのに、日本には冷戦思考の名残で中国の発展を脅威と見なす政治家がおり、不幸な戦争の歴史はすでに過去のものとなったのに、どうしても歴史の事実を歪曲する手法によって両国関係の改善を破壊しようとする者がいる。
幸い、風は終日吹かず、驟雨は終日降らず、両国の有識者の長年の努力を経て、中日関係はついに正常な国家関係の軌道に戻った。今や中国の指導者が堂々たる大国の風格と「四海一家(世界は一家)」の気概を示すのを見て、日本の指導者も歴史認識問題における小泉氏等の誤ったやり方を改めるに至った。経済貿易・科学技術面の両国の相補性、省エネ・環境保護面の両国の共通利益は、政治関係の基礎を固めただけでなく、社会・文化交流の飛躍的発展ももたらした。魯迅先生の詩「劫波(ごうは)を度(わた)り尽くして兄弟在り、相逢(あ)いて一笑すれば恩仇泯(ほろ)ばん」は、今日の中日関係を生き生きと描写していると言えよう。
当然、東アジアの隣接する両大国として、中日も必然的に戦略的利益の対峙と対立に直面するのであり、長年の累々たる歴史上の問題と現実的な利益の紛争とが相まって、これらを一挙に解決することを一層困難にしている。こうした中、冷戦思考や古いゼロサムゲームの観念を捨て、誠実な政治的相互信頼を構築し、大局に立って遠望することの重要性は明らかだ。そうしてのみ、両国関係は寒流を免れ、常に春暖かくあることができ、両国民は遺恨を水に流し、常に微笑んでいることができるのだ。
「人民網日本語版」 2008年5月7日
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