私はたまたま縁あって、社団法人、農山漁村文化協会(農文協)で、『図説中国文化百華』というシリーズものを企画・編集している。この本は、中国の文化を、日本の文化とのかかわりという視点から見ようとするものである。
私は中国で生まれ育って15歳で日本に帰国した。20年間の空白のあと、35歳で、再び中国に足を踏み入れた。それは「文化大革命」が一応落ち着いた1978年のことである。それからすでに30年が経とうとしている。
いま、日本の大きな書店に行けば、中国に関する本は政治・経済はもちろん、文化に関するものまで含めると、おそらく世界で類を見ないほど数多く出版され、陳列されている。中国の書店に並ぶ日本関連の書籍の数と比べれば、中国がいかに日本にとって大きな存在であるかが分かる。 それは昨今、生活の多くを世界、とりわけ中国からの輸入品でまかなっている日本が、文化の面ではもっと以前から中国と緊密にかかわっていたことを物語っている。にもかかわらず、日本人は、日本の文化が中国とどのようなかかわりをもっているかについて、案外知らない。 農文協のこのシリーズは、日本と中国との関係を再確認する企画である。この企画を立てるにあたって非常に参考になったのが、石川九楊先生の視点である。
たとえば、中国の歴史上の人物を誰か一人挙げよといわれれば、おそらく日本人であれば「秦の始皇帝」を挙げる人が多いだろう。文字通り中国を統一した最初の皇帝で、貨幣、度量衡、車軌、文字を統一し、「焚書坑儒」を行い、郡県制をしき、中央集権を確立した。これが歴史で習う始皇帝像である。 ところが、石川先生の始皇帝評はいささか違う。「かりに始皇帝が文字を統一していなければ、東アジアは欧州と同じく、多くの国々に分かれていただろう」というのである。言い換えれば、文字、漢字によって国を統一した。春秋戦国時代の争いは実は「文字取りの戦争」であった。覇者となった者、すなわち始皇帝が、それまでばらばらだった漢字を「小篆」に統一し、その他のものは、それこそ「焚書坑儒」されたのである。
広東や福建、雲南や内蒙古といえども、話し言葉は通じなくても漢字で書きさえすれば通じる。中国のテレビ番組は漢字のテロップを常に流しているが、標準語の分からない人でも、このテロップの漢字を見れば意味が分かる。
中国国内だけではなく東アジアの国々、日本や韓国、ベトナムでさえも、困ったときには漢字を使えば、何とか意思の疎通ができる。始皇帝が漢字で中国を統一したからこそ現在がある、と言っても過言ではない。
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石川九楊先生 | 石川先生は、日本やアジアあるいは人類がこれからどう進むべきかといった大きな道を示唆する目を持っている。先生の著作を読むにつけ、これまでにない論法に毎回、驚かされる。
「日本語の歴史はそこそこ千年」と言われれば、「なに」と思わざるを得ない。私は大学で国語学と言語学を学んだ人間である。漢字は中国から入って来たものだけれども、漢字を借りて万葉仮名とし、漢字から片仮名と平仮名を編み出した。普通であればこの程度の理解であろう。
ところが先生の話は、日本列島と朝鮮半島と大陸、東アジアの歴史を「漢字文明」と「各地方文字による文化」という壮大な切り口で解説する。
日本の歴史学者や考古学者は茶碗の一部に田の字のようなものが四世紀、五世紀に見られると大騒ぎしているが、紀元前後にはすでに相当レベルの文化を持った人々が列島に渡って来ていた。このころは「中国時代」である。その証拠が「漢委奴国王印」の存在である。
政治的には650年を過ぎたころ、中国に倣った律令制度の国家、日本として独立するが、文化的には900年ごろまで、飛鳥、奈良、平安初期は、想像のつかないほど中国的な「擬似中国国家」であり、「日本以前」に過ぎない。
この「擬似中国」時代には、「日本文字」はまだ完全には存在せず、中国文字の借り物であり、日本語も文字の書きぶりも、流動し、固まってはいなかった。この「擬似中国」時代である奈良で、盛んに行われた写経は、実は新生日本をつくる国を挙げての識字運動であったという。
やがて遣唐使が廃止された800年代の後半に、「女手」といわれる平仮名が誕生し、『古今和歌集』や『土佐日記』さらには11世紀には『源氏物語』や『枕草子』『和漢朗詠集』などの文学が生まれ、和語・和歌・和文という独自の言語が成立する。
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石川九楊先生と著書 | その後、鎌倉時代にも、元を逃れた宋の文化を携えた数多くの人々が渡来し、現代の日本語に連なる言語が形成されてきたのだという。東アジアは朝鮮半島もベトナムも同じころに、同様に、ハングルやチェノム(字喃)さらにはアルファベットによって、脱中国という形で独立し、言語も文化も個別化していく。
言語や宗教の違いによって数多くの国々に分かれていった欧州が、21世紀になってEUとして共同体を構成している。漢字文明を共有する東アジアは、政治的な共同体は別としても、今こそ各国の文字文化の違いによる近親憎悪を乗り越えて、未来に向けて新しいよりよい関係を結ぶべきであるというのが石川先生の持論である。
『図説中国文化百華』では、「中華思想」が実は天下をめざして中原に入ってきた多様な異民族が、自ら染まった思想であるといった発見が随所にある。それと同時に、中国にはあるが日本の文化としては根づかなかったというものもある。たとえば、「科挙」や「龍」「陰陽五行」といった制度や思想は、日本には根づかなかった。こういうことも、日中の文化を研究する上で、大切である。(広岡 純)
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