私たちは被災地の人々と共に
汶川の地震発生後、上海市の血液管理事務所の電話は壊れる寸前まで鳴り続けた。献血をのぞむ団体と個人は数え切れないほどだった。十三日、十四日、上海市の三十カ所の献血ステーションでは、毎日二千人近くが献血した。北京では三千枚の献血予約券はすぐ無くなり、管理スタッフはやむをえず人数一人あたりの採血量を制限した。
地震後、社会各界は、被災地への募金活動を始めた。重慶では、一人の三十過ぎの男性が百元札の束を高々と掲げ、募金箱の前にやってきた。「一万元です。被災地の助けになるといいですが」。彼はその場を去ろうとした瞬間、またなにか思い出したようにまたポケットから百元を取り出し、募金箱に入れた。スタッフが何度も聞いたが、彼は名前を明かさなかった。楊全秀さんは、重慶合川からやってきた農民で、手にくしゃくしゃの五元札を握りしめていた。人ごみの後ろから様子をうかがっていた彼は、最後に募金箱に五元をいれた。彼は貧困家庭で、五元は全家族の食事一回分である。
北京では、文化界、メディア界、スポーツ界、企業各界で、募金の波が広がり、チャリティ公演やチャリティ試合が絶え間なく行われた。十八日夜には、中央電視台の総指揮による「愛の貢献――二〇〇八年抗震救災大型募金イベント」が行われ、その場で十五億一千四百二十九万元が集まった。
一九八〇年代以降生まれの若者たちも、この時はみな同じだった。「私たちに何ができる? 被災地に募金しよう」これが多くの大学のインターネット上の伝言板BBSに現れた一番多い書き込みだった。BBSは学生たちのインターネットの遊び場で、笑い話から怒りの文句まですべてが伝言される。けれど五月十三日、各校のBBSは厳粛で、ほとんどが震災に関するものだった。地震発生後、学生たちは携帯にショートメッセージを受け取った。「被災地の通信はパンク状態。四川に気軽に電話するのは慎み、通信空間を必要とする被災民に残そう」
人民中国インターネット版 2008年5月21日
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