被災地の人々を思うゆえに「無情の父」となる

 

「お父さん、今どこ?大地震が起きたよ、教室がすごく揺れてる、早く助けて、怖いよ……」途中で、音が切れた。5月12日午後、四川省南部県大堰郷農業サービスセンター副主任、黄小勇さんは、携帯電話を手にしたまま呆然となった。その時、黄さんの足元もひどく揺れ始め、周囲の人々はみなパニックに陥っている。

 

30分後、汶川県の地震発生が黄さんの耳に入った。黄さんの娘の黄薇さんは、成都大学の三年生で、地震発生時、都江堰校区にいた彼女は、生死があやうい。都江堰に戻るか、それとも大堰郷に残るか? 黄さんは迷わずに後者を選んだ。

 

地震発生後、大堰郷政府のある場鎮はすでにメチャクチャになっている。自分が管轄する三家溝村の人々は今どうしている?死傷者は?娘の哀願の声が耳にこだまするようだったが、黄さんはオートバイで三家溝村に急行した。

 

村を回ってみると、一部の家屋が被害をうけた以外、村の人々は、幸いなことにみな無事だった。「皆さん、注意してください、余震が起こるかもしれないから、安全なところに避難してください」。黄さんは村の放送を通じ、村民を落ち着かせる一方、本から調べた地震避難に関する常識を村民たちに伝えた。

 

12日の夜更け、村党支部書記の周紹東さんとともに懐中電灯を持って家ごとの災害状況を調べていた黄さんは、娘からのショートメッセージを受けとった。「お父さん、クラスメートが10人以上も死んでしまった。急いで階段を駆け下りた時、私も転んで大怪我したの。今、成都で治療を受けている。私、怖いよ、早く帰ってお見舞いに来て」。娘はまだ生きている、黄さんは心配しどおしだった心がようやく落ち着いた。「娘が痛みと怖さの中でもがいていることを思うと、私はつらくてたまらなかった」と黄さんは言う。

 

13日の朝、妻が家から電話をかけてきて、「あなた、早く成都に来て、娘を慰めて」と言う。けれど、その時、村民の1人、家が全壊した宋守健さんは隣近所の家を借りて住んでおり、家に大きな亀裂が入った村民もでている状態だった。娘を心配する気持よりも、村民の安否のほうを重んじる黄さんは、妻の電話を切り、村に残って震災救援活動を続けた。

 

今回の地震により、三家溝村に崩壊した家屋は11棟、程度の差こそあれ、危険が生じた家屋は87棟あり、被災住民は24戸に及ぶ。被災住民をできるだけ早く正常な生活に戻すため、黄さんは村の幹部たちと相談した後、全村で募金活動を展開した。彼自身も先頭に立ち200元を寄付した。村民たちのなかには、食糧を寄付したり、お金を出したり、自分の家の農作業を休み、自ら被災者の家を建て直す人もいた。黄さんは、村組織の幹部、共産党員、職人たちを組織し、応急修理チームを設立した。

 

三家溝村の一切をのりきった後には、すでに15日の昼近くになり、娘は病院で3日も待ちわびていた。15日午後、黄さんは四川省第一人民病院に駆けつけ、心配しどおしだった娘をようやく見舞った。「私も被災者なのに、どうして私を心配しないの?」と黄薇さんは、やりきれなくなって泣いた。

 

包帯に包まれた娘の手足を撫でる黄さんは、おろおろと「薇薇、悪かった。故郷の村の人たちもお父さんは心配だったんだ」。二人はベットのそばで抱き合って泣いた。

 

16日の午前、黄さんは急いで大堰郷に帰り、また村の再建活動に取り組み始めた……

 

人民中国インターネット版 2008年5月21日

 

 
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