彼がいなかったら、四人の子どもたちは生きてはいなかった
五月十三日午後十一時五十分、冷たい雨の降り続く徳陽市漢旺鎮の黒い空を切り裂くように、救急車のサイレンが鳴り響いた。その救急車で運ばれていたのは、倒壊した東汽高校の建物から救出された四人の生徒であった。「そのうちの一人が私の姪です。もしも譚先生が身を挺してかばってくれていなかったら、この四人の子どもたちは生きてはいなかったでしょう」助かった女子生徒、劉紅麗さんの叔父は目を潤ませながら言った。「彼こそ本物の英雄です!」
譚先生とは、学校の教務主任であった五十歳の譚千秋のことである。「発見されたとき、彼は両腕を大きく広げ、机の上にうつ伏せたような姿でした。彼の体の下にいた四人の生徒は全員無事でしたが、譚先生は頭を打ち、残念ながら亡くなりました」ある救助隊員が現場の様子を振り返る。
学校の運動場では、譚先生の妻である張関蓉さんが、夫の顔についた土を丁寧にぬぐい、乱れた髪を整えていた。「あの日、主人はいつものように六時に起きて、娘の洗顔や着替えを手伝ってから、早々と学校に出かけていきました。まさかそのまま帰らぬ人になってしまうなんて。娘はまだ家でパパの帰りを待っているんです」そういってすすり泣く張さんの言葉は、もはや声にならなかった。
その場にいた生徒の親たちは、現地の風習にのっとって爆竹を鳴らし、譚先生の安らかなる眠りを祈った。
人民中国インターネット版 2008年5月22日 |