ラウ湖の朝
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ラウ湖の朝
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ラウ湖にたどり着くと、日はすっかり暮れていた。近くの小さな宿屋に泊まることになった。粗末な宿屋だが、都市から離れた静けさもなかなかに得がたいものであった。翌朝、湖畔に沿ってラウ湖の奥に向かって歩いた。新鮮な空気と静かな環境を楽しんでいると、心がゆったりとして、愉快な気分になる。水面には真っ白な雪山が映っている。ときおり、山雀が鳴きながら頭上を飛んでゆき、ラウ湖の朝に生気がみなぎる。
ラウ湖はバショ県の南西部、ヒマラヤ山脈、ニャンチェンタングラ山脈と横断山脈がぶつかるところにある。山が互いに押し合い、断裂、陥没することによって、青海・チベット高原にたくさんの湖が誕生した。高原堰き止め湖であるラウ湖は1959年の夏、豪雨の後に起こった大規模な地すべりで形成された。面積22平方キロメートル、湖面の標高3850メートル、富士山よりも高いところにあるチベット自治区東部で一番大きな天上の湖である。湖の南西方向にあるのはカンリガルポ(崗日嘎布)雪山、南はアザゴンラ(阿扎貢拉)氷川、北東はバシォラ(伯舒拉)嶺である。湖畔には青々とした草がびっしり茂り、山の中腹は密生した森林であり、さらに上にいけば色とりどりのツツジの花と灌木林地帯が見える。山頂は真っ白な雪で覆われている。夏に雪山から流れてくる雪融け水は、ラウ湖の主要な水源である。湖水は西へ流れ、パランズァンボ(帕隆藏布)川の源のひとつになっている。
湖のほとりに下りてゆくと、静かな水面に淡い朝もやが漂っている。細長い形の湖水が山間を西へうねりながら流れてゆく。すぐ近くに「ラリ」(拉熱)という小さな村があった。地形に寄りかかるようにして建てられた家々は非常に独特なものであった。何本もの松の木の杭と何枚もの板からなり、そろって湖に臨み、道路を背にしている。平らな屋根は周囲を高く伸びた杭で囲まれ、簡易貯蔵スペースとなり、刈った青稞(ハダカムギ)と家畜が冬を越すためのまぐさの保存にすることに用いられる。
太陽は山の後ろに隠れ、まだ昇っていない。村は静かに眠っている。村を散歩しながら、そののどかな静けさを存分に味わう。ほどなく、太陽が山頂に昇る。暖かい日差しが湖のほとりにふんだんにふりそそぎ、村の一日が始まる。お年寄りたちはバケツを手に湖に水汲みにでかけてゆく。家の中から子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。けだるそうなヤクたちが次から次へと家畜小屋から追い出され、首につけた鈴をチリンチリンと鳴らしながら牧草地へ向かって歩いていく。おばあさんは羊小屋で羊毛を刈りはじめる。刈った羊毛を使って毛氈を作ってもいいし、生活用品を手に入れるために売ってもいい。かつてキャラバンは茶葉などの日常品を、現地のチベット族の手作りの牛毛や羊毛の毛氈と交換していたという。これらの毛氈は野宿するとき、寒さや湿気をしのぐにうってつけである。
やがて、寝ぼけまなこの子供たちも走り出てきた。村にやってきた見馴れぬ顔ぶれを見ても、人見知りもしない。ぺちゃくちゃと何かしゃべりながら、しっぽのように後からついている。カメラを取り出して写真を撮ってあげると身振りで示すと、子供たちはこちらの意図を察し、一人一人家の前に積み上げられた木の上に立ち、おどけた顔をしてカメラに収まった。撮り終わってから、デジタルカメラに収められた画像を見せる。子供たちは目を丸くして、カメラの中の自分を見つめ、驚きの声をあげた。不思議でたまらないというまなざし、表情がとても可愛いらしい。
太陽が高く昇りきると、道路を走る車が多くなった。トラックが鳴り響かせる轟音が、ラウ湖の静けさを打ち破った。(馮進=文・写真)
人民中国インタ-ネット版
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