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趙蕊蕊 "ガラスの美女"は返上! 完全復帰を宣言

 

趙蕊蕊(中国語読み「ジャオ・ルイルイ」)

 

出   身 江蘇省南京市

 

生年月日 1981年10月

 

身   長 197cm

 

2003年のアジア選手権とワールドカップで中国を優勝に導き、アタック賞獲得

 

2008年6月、スイスのモントルー。女子バレーボールのモントルー・マスターズに、4年ぶりに国際大会に出場する選手がいた。2003年、日本で開催された女子バレーのワールドカップで中国を11連勝で優勝に導き、子供のような可愛い笑顔と鮮やかなスパイクで中国のみならず日本のバレーファンをも熱狂させた趙蕊蕊。プロデビュー以来相次ぐ負傷に悩まされ、アテネ五輪では初戦開始わずか2分でケガが悪化し、残り試合を出場できなかった。故障しやすいため「ガラスの美女」と呼ばれていたが、モントルー・マスターズを機に完全復帰を宣言した。

 

趙蕊蕊は、身長197センチで女子バレー選手としてはアジア最高。またセッターの馮坤との息の合ったコンビプレーを活かし、2003年、日本で開かれたワールドカップで、中国を17年ぶりに世界の王者に導いた。

 

しかし、背が高いわりに体が細すぎる。猛練習をかけるとすぐケガをしてしまうようだ。プロとしてデビューして以来、故障が相次いだ。1998年、デビューから1年足らず、練習場で不注意で滑ってしまい、右ひざの半月板を負傷し、国家ユース代表入りを逃した。1年後の1999年には国家代表に入ったが、ケガが悪化し、翌年のシドニー五輪出場を断念。2002年頃になって初めて活躍ぶりを見せ、アジア大会・ワールドカップ・アジア選手権などで優勝に貢献した。この好調さを保ってアテネ五輪では中国を20年ぶりに金メダルに導くかと期待されたが、2004年3月、練習中にジャンプして着地した瞬間、右足に異常な音がして激痛を感じた。骨折だった。足の痛みより、2度目の五輪断念が頭をよぎり、涙を流した。

 

それでも、すぐに手術を受けてリハビリを始めた。順調に足が回復し、どうにかアテネには間に合った。しかし、初戦のアメリカ戦で、試合開始わずか2分で足に不具合を感じて退場した。医者に診てもらうと、手術を受けたところが再び骨折したという。"高さ"の反面、体の弱さが指摘され、「ガラスの美女」という嬉しくない名前までもらった。

 

それから、手術とリハビリに4年近くがかかった。一時、引退も考えていたという。

 

「アテネ五輪の後、ケガの繰り返しばかりで、やっぱり自分はだめだろうと思って、もうやめようかと思いました。でも、チームメートたちが電話をくれて、『あなたはチームの一人だよ。いまは、しばらく休んでるだけ。帰ってくるのを忘れてないでね』と励ましてくれたのです。すごく感動して、勇気もいただきました。皆と一緒に北京五輪を戦おうと決めたんです」

 

4年ぶりに復帰した趙蕊蕊は、アタックやブロック、それにチームメートとのコンビ攻撃ではまだまだ安定感を欠くが、逆に昔よりプレーに落ち着きがでてきた。

 

「昔は、『とにかく相手を打ち負かそう』とか、思いきりジャンプして力を込めてスパイクすることしか考えていなかった。今は、ケガを恐れているからかもしれませんが、力を出していいところに力を入れるようになったのかなと思います」

 

「ガラスの美女」という呼び名も前々から承知のようだ。「もう、『ガラスの美女』なんて嫌です。ガラスのような壊れやすいものじゃないですから…」

 

さきのモントルー・マスターズで、中国は1敗したため2位にとどまったが、趙蕊蕊は、アタック成功率でトップとなった。彼女は、4年ぶりに国際大会に出場し、"結果"で完全復帰を宣言したというわけだ。(編集・翻訳:鵬)

 

「中国国際放送局 日本語部」より 2008年6月13日

 

 

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