西洋から注がれた水

明末清初、西洋の宣教師と中国の知識人が協力しあって、大量の天文学、数学、物理学などの西洋科学の著作を翻訳、紹介した。徐光啓とマテオ・リッチが共訳した『幾何原本』の中の「点」「線」「直線」など多くの名詞が、現在もそのまま用いられている。中国の経緯度の精密の概念も、彼らが共訳した数学書『測量法義』から始まったものである。

中国人に初めて世界の中の自分たちの位置を知らしめた『坤輿万国全図』。1602年に宣教師マテオ・リッチが作成

この時期、イエズス会の宣教師はさらに『大学』『中庸』『論語』『詩経』などの経典書籍から文学作品までを外国語に翻訳し、中国文化を西洋に紹介した。

清末民初、西洋国家の社会、経済、科学技術、法律、外交及び政治制度を反映した著作が当時の翻訳の主な趨勢となった。記載によれば、1860年から1919年の間、中国語に翻訳された西洋科学の著作は468点に達した。

厳復が翻訳したトーマス・ハクスリー『天演論』 清初民初の啓蒙思想家、翻訳家厳復 林紓が翻訳した『巴黎茶花女遺事』(『椿姫』)の表紙

著名な啓蒙思想家である厳復はこの時期もっとも活躍した翻訳家でもある。およそ20年間に西洋の政治制度及び学術思想の専門書を11点翻訳、その領域は哲学、政治学、経済学、社会学、法学、論理学などにも及んだ。たとえばトーマス・ハクスリー『天演論』、アダム・スミス『国富論』、モンテスキュー『法の精神』などがある。厳復曰く、「翻訳において難しいのは、信、達、雅(忠実であること、きちんと意味が伝わること、表現が美しいこと)の3つである。忠実を求めることは非常に難しいが、忠実であることにこだわってばかりいると意味が通じにくく、訳していないものと同じことになってしまうため、きちんと意味が伝わることが大切である」。この「信、達、雅」は翻訳の3つの基準であり、後世の翻訳の実践において重要な手引きとなっている。

清末には、小説の創作と翻訳が盛んに行われた。林紓は中国近代の著名な文学家、詩人で、中国文学翻訳史上まれに見る、外国語を解さないにもかかわらず膨大な訳書のある翻訳家で、影響力があった。彼は外国語に精通した協力者の口述を頼りに、11カ国98人の作家の185点の外国文学作品を翻訳し、翻訳界の奇人と呼ばれた。

 

人民中国インターネット版 2008年7月17日

 

 
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