奇書『狼図騰』を訳して 編集者・作家 唐亜明 中国の超ベストセラー『狼図騰』(長江文芸出版社)が、昨年末、『神なるオオカミ』という題名で講談社から出版された。モンゴル草原のオオカミと文化大革命時代の知識青年の「下放」を描いたこの小説は、これまでに26の言語に翻訳され、建国後の最大の著作権輸出作となったという。日本語版は英語より4カ月早く書店に並んだ。 『狼図騰』との出会いは、旅先のシンガポールの中国語書店であった。読んでいるうちに心を激しく揺り動かされた。かつて文革のときに、ぼくは禁書とされたロシアの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』やフランスの『赤と黒』などの文学名著をひそかに読んでいた。そのときにおぼえた大きな感動に匹敵するものが、この『狼図騰』にあった。人間と自然、動物、歴史、文化を融合させた雄大な作品である。昨今の文学界においてファーストフード的な読み物が増えているなかで、爆弾を落とされたような衝撃をうけた。 『狼図騰』の著者、姜戎さんと同様、ぼくも文革のときに農村へ「下放」された経験をもっている。姜戎さんは高卒で21歳のときに内蒙古へ、ぼくはその2年後、中卒で16歳のときに黒竜江省へいった。同じくソ連との戦争準備で緊張した国境地域だったが、姜戎さんは遊牧民となり、ぼくは農民となった。いまでも目をつぶると、あの東北地方の広々とした黒い大地、一面の白樺林、真っ赤な夕陽が地平線にゆっくりと沈んでいくようす、そしてシルエットのように遠くに見えたオオカミの群れ……そんな風景がよみがえってくる。青春時代にみたものが目に焼きつき、ぼくの美感の原点になっているといっても過言ではない。 25年前、ぼくははじめての外国人正社員として日本の出版社に入社して以来、中日両国の文化交流、とくに出版関係の交流に微力をつくしたいと考えてきた。そこで、さっそく北京へ飛び、著者の姜戎さんと夫人の張抗抗さんに会った。「ちょうど、日本にいる唐さんにこの本の翻訳出版について連絡したいと思っていたところで、なんという奇遇でしょう」と、張抗抗さん。姜戎さんもぼくも両親は抗日戦争時代に革命に身を投じた同志だったなどの共通点があり、互いに親近感をおぼえた。 「姜戎」というペンネームについて、かれはつぎのように語った。「わたしの先祖は姜姓で、祖父は姜だったけれど、なぜか父の代から姜を名乗らなくなった。このペンネームは范文瀾氏の『中国通史簡編』にある“炎帝の姓は姜で……姜の姓は西戎の羌族の一派で、早くから中原に入ってきた西方の遊牧民であった”という言葉からつけた。“姜”は中華民族のもっとも古い母系部族の名字の一つで、“戎”の原義は兵器だが、異民族の呼称にも使われていた」
姜戎さんの遊牧民としてのオオカミ体験には遠くおよばないが、ぼくもまた違った「農民」としてのオオカミ体験をもっている。1969年、毛沢東の呼びかけに応えた16歳のぼくは、「知識青年」としてシベリアに隣接する黒竜江省の中ソ国境に「下放」された。ソ連との戦争に備え、毎日、軍事訓練をうけながら農作業に従事していた。はてしない三江平原の黒い大地にも、ときどき、オオカミが目の前に現れた。いつも集団で行動していたぼくたち「知識青年」は、オオカミとの間に、ある種の「暗黙の了解」ができていた。オオカミは襲ってこないし、ぼくたちもオオカミを攻撃しない。数十メートル先の丘に立って、こちらをみつめるオオカミの姿は颯爽としていた。空に鼻を突き上げて、「ウォー、オーン」と吠えだす姿もみたことがある。 とはいえ、オオカミの群れはやはり怖いものだった。しかし、オオカミたちは複数の人間には近づいてこない。ある程度の距離をたもちながら、後ろについてうろうろしていた。夜、トラクターで畑を耕していると、野ネズミが出てくる。オオカミの群れはぼくたちのトラクターの後ろで野ネズミを獲っていた。ぼくは鋼鉄の運転室に坐り、ゴーゴーと轟くエンジンの爆音やライトの光に守られていたので、身の危険をそれほど感じなかったが、運転室を出るのはやはりためらわれた。トラクターを運転しながら後ろをふりむくと、暗闇のなかにオオカミたちの目が緑の光を放っていた。 そのころ、ときどき、夜道を歩かなければならないことがあった。街灯などまったくない闇の世界だ。村人たちはオオカミへの対応策を教えてくれた。オオカミが背後から襲ってくるときは、いきなり前足を人の肩にかけるという。そして、人間が何事かとふり返った瞬間に、ぱくりと、ちょうどいい角度になった人間の咽喉に噛みつく。だから、たとえ突然だれかに後ろから肩をたたかれたと思っても、絶対ふりむいてはいけない。すぐに両手でオオカミの前足をつかみ、頭を下げ、腰を曲げてオオカミを前のほうへ強く投げとばせ、と。 けれども、ぼくは一度もその技を試す機会にめぐまれなかった。怖くて、いつも夜道を歩きながら大声で歌ったり笑ったりしていたので、オオカミのほうが驚いて、後ろから肩をたたくようなまねができなかったのかもしれない。 遠い記憶になりつつあるあの特殊で、激動の時代──中国の文化大革命のさなか、都市部の青年たちが農村の広い大地で遊牧や農耕の生活を体験し、青春の情熱を労働にそそぎ、懸命に生きてきた。ぼくの日本語もそのころから独学ではじめたもので、自転車に乗りながら単語帳をめくって暗記したこともあった。ぼくの教科書といえば『人民中国』で、テープレコーダーも日本の読み物もなかった。ところが、時代も中国もすっかり変わった。関野喜久子さんとともに『狼図騰』の翻訳を終えたとき、隔世の感を禁じえなかった。 いままで、日本の読者は中国の古典に夢中になっても、中国の現代文学に興味を示す人はそう多くなかった。「曠世奇書」(世にたぐいのない奇書)といわれる『神なるオオカミ』は、果たして日本でも「狼煙」を上げられるのだろうか。0807
人民中国インターネット版 2008年7月18日
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