翻訳は思想を超えられるか
聖トマス大学・教授 王智新 黒竜江省の農村に「下放」中の私が、突然の推薦を受けて上海外国語大学へ入学したのは1972年早春のことであった。入学してまもなく川端康成の自殺の訃報を聞き、大きなショックを受けたのを昨日のことのように覚えている。それがきっかけとなって日本への関心・興味が徐々に増したが、それを満たしてくれる資料は極端に不足していた。あらゆる手を使ってありったけの資料を手に入れ、読みふけった。改革開放後、観光や仕事で急増した中国を訪れる日本人の持ち込む新聞・雑誌、単行本が入手できた。文庫本が一番の人気だった。 そんなころ、松本清張や森村誠一らのいわゆる社会派推理小説と出会った。日本の伝統的私小説のように退屈でなく、当時流行していた古風な探偵小説とも違って、まったく新しいものが感じられた。 日本語の原書を無我夢中で読んでいた私は、仲間たちから非常に羨ましがられ、自分たちにも分かるようにしてくれとせがまれた。そして、日本語のわからない仲間と推理小説の面白さを分かち合うために、翻訳を試みた。写本やタイプで打っただけのものが流行った出版業が極端に不振な時代であったから、自分の翻訳がのちに活字になって出版されるとは夢にも思わなかった。『鬼畜』『霧の旗』(松本清張)、『人間の証明』(森村誠一)などの社会派推理小説、『火の鳥』(伊藤整)、『憂国』(三島由紀夫)、『パニック』(開高健)、『砧を打つ女』(李恢成)、『ウサギの目』(灰谷健次郎)などの中長編小説の翻訳を手がけた。出版社の目にとまって出版されたものもあれば、ようとして行方不明の原稿もある。中でも『人間の証明』は、出版と同時期に映画も中国で上映され、初版60万冊がたちまち売り切れた。第66回芥川賞受賞作品『砧をうつ女』の翻訳原稿は、今も研究室の隅に眠ったままである。 日本に留学後は教育学を専攻し、日本文学から遠ざかった。気に入った作品に出会っても翻訳する余裕はなかった。専攻研究の延長で、『戦後日本教育史』『教育学研究の課題と方法』(大田尭)や『菊と刀―日本文化の型』(ルース・ベネディクト)(共訳)を訳し、世に送りだした。最近、出版筋の友人に頼まれ、『あじさい日記』(渡辺淳一)の翻訳を手がけ、久々に文学作品の翻訳を楽しんだ。 翻訳は文字とほぼ同じくらい古くから存在し、言語間の翻訳はルネサンス以来、「人類の知識の空白にかかる橋」といわれる。しかし、翻訳者は自分をある程度まで滅却しなければ成り立たない。しかも、「言語に引きずられるのではなく、言語を意味のための形式として主体的に“用いる”のでなければならない」(平子義雄『翻訳の原理』大修館書店)。 中日間の翻訳では、特にこの覚悟を必要とする。一衣帯水、同文同種といった日本に対する格別の思い入れや親近感ゆえに、全く異なる言語、全く別の民族であるという認識が薄い。その結果、まじめに勉強もせず、楽に習得できると思い込み、翻訳できると自惚れる者もいる。漢字だけを見た当て推量が横行する。例えば、「鳥居」という日本語を見て、「鳥がとまって居住するところ」(『岩松看日本』)という解釈が中国を代表する国営テレビで公言されたのには、開いた口がふさがらなかった。『日本人と中国人―同文同種と思いこむ危険』性を、著名な作家・陳舜臣氏はかねてから指摘している。 中日間の翻訳出版の現状を見ると、不幸にも陳氏の警告は重視されてこなかったといわざるを得ない。 日本語で書かれた書籍のそこに凝縮されている日本的美を、まったく性質の異なる中国語で、文化的バックグランドのまったく違う中国人に鑑賞してもらうことを目的に、筆者は翻訳をする。 例えば『人間の証明』に、「鴬張り」について、主人公の口から説明される箇所がある。人が歩くと、きしんで音が鳴る、外部侵入者の危険探知の為に設けられたとされる独特なこの仕掛けだけでなく、このような発想自体が中国にはない。そのまま中国語にした「夜鶯板」では、中国の読者には何の事かさっぱりわからない。英語の「nightingale floor」を直訳すれば「南丁格尔地板」となり、ますます混乱してしまう。考えた末、日本にしかない独特のものは無理に翻訳せずそのまま直訳し、注釈をつけることにした。
例えば、先日、福田康夫首相は閣僚懇談会後、長野市の五輪聖火リレーで抗議行動を目的とした国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」のメナール事務局長の来日について、「日本は開かれた国なので、入管の原則に従ってしゅくしゅくと入国審査するように」と鳩山邦夫法相に指示した(『朝日新聞』2008年4月25日)。 「道路特定財源を一般財源化する政府・与党方針と矛盾するだけに相当身構えたようだが、野党の追及は尻すぼみに終わり、委員会採決も混乱も無くしゅくしゅくと行われた」(『産経新聞』2008年5月10日)。 漢字で書けば、「粛々と」であろう。国語辞典によれば、①「つつしむさま」②「静かにひっそりしたさま」③「引き締まったさま」④「厳かなさま」「謹んで」等を意味する。さらに『日本国語大辞典』には、「松などの樹木に風が当たってものさびしい音をたてるさま」「風がひややかにふくさま」とある。中国人がこの言葉を聞いて真っ先に思い出すのは、「粛々として廟にあり」(『詩経・大雅』)、「風粛々として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた還らず」(『史記・刺客列伝』)という万古の絶唱、あるいは杜甫の「無辺の落木粛々として下り、不尽の長江滾滾として来る」(『登高』)である。「うやうやしい、慎み深い」、あるいは「粛寂」「粛静」「粛清」などの熟語で「厳粛」「静粛」という意味もある。 日本人なら、頼山陽が「鞭声粛々夜河を渡る」と吟ずる川中島の戦いの故事であろう。つまり、相手に気づかれないよう、静かに馬に鞭むち打つさまである。上述の中国語の「粛々」とは、意味が大きく異なる。 ところで、政治家が好んでこの言葉を使うときには、上記の中日のいずれの意味からも逸脱し、「反対意見に惑わされずに議事を進める」決意のように使われる。本来は悪いイメージの言葉ではないが、政治家が先のように使うと不快な意味合いを帯び、「隠密に」「批判に耳を貸さずに」「命じられたままに」等のニュアンスを持つといわれる。このような意味を汲み取らない限り、字面だけ置き換えても正しく伝えることはできない。 今日の中日翻訳界を俯瞰すれば、三十数年前に比べて圧倒的な数の翻訳作品があるが、優れたものは稀有である。例えば、『菊と刀―日本文化の型』は少なくとも三種類の中国語訳が出回っているが、一番売れているのは正確に翻訳されているものではない。非常に残念なことである。筆者の経験から申せば、翻訳をする者はしっかりした思想の持ち主でなければならないが、作品の内容を超えて思想だけが先行してはならない。0807
人民中国インターネット版 2008年7月18日
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