2008年3月30日、ギリシャのオリンピアで、北京五輪の聖火トーチ「祥雲」に聖火が灯された。そして、全世界をめぐる聖火リレーが始まった。「祥雲」は、イスタンブール、サンクトペテルブルグ、ロンドン、パリ、サンフランシスコ、ニューデリー、バンコク、長野、ソウルなど世界15都市をまわったあと、故郷の中国に戻った。そして、中国国内での聖火リレーをスタートさせた。
「天地の果て」からスタート
5月4日の朝、四方を海に囲まれた海南省三亜市の鳳凰島では、五輪旗と国旗を手にした数千人の観衆が、高さ49メートルの「火の鳳凰」の彫塑像の周りに集まり、聖火リレーのスタートを今か今かと待っていた。
9時30分、北京オリンピック組織委員会の劉敬民・副主席が「祥雲」に火を灯すと、観衆は歓喜の声をあげ、鳳凰島が沸き立った。
2002年ソルトレークシティー五輪の金メダリスト(ショートトラック女子500メートルおよび1000メートル)の楊揚さんがトーチを高々と掲げ、たくさんの人々に取り囲まれながら走り始めた。楊さんは第一走者になった感想を、「オリンピックで金メダルを取ったときと同じように幸せでした」と話した。温かい笑顔と拍手を送ってくれる沿道の人たちを見て、自分が手にしているものは、みんなの共通の夢であると感じたという。
中国国内の聖火リレーは、「天涯海角(天地の果て)」と称される中国最南端の都市、三亜市からスタートした。三亜市の聖火ランナーは208人。中国の芸能界、スポーツ界、ビジネス界の著名人たちをはじめ、日本や韓国、ロシア、ドイツ、米国など外国の友人たちもランナーとなった。彼らは、砂浜やヤシの木林、広場、市街地などを通る総距離31キロのリレーコースを走り、聖火はランナーからランナーへと次々にリレーされた。
摂氏30度以上の炎天下のなか、数万人におよぶ観衆が、旗を振りながら応援。「情熱に火を灯し、夢を伝える」と書かれた横断幕が、あちらこちらに広げられた。なかには、竹ざお踊りや太極拳を披露して、聖火リレーを応援する人たちもいた。2000キロ以上も離れた山東省からやって来た劉さんは、顔中に汗をかきながら、「今さっき、聖火ランナーを見ました。とても興奮しました。わざわざ遠くから来たかいがありましたよ」と笑顔で語った。
国内の聖火リレーのスタート地点が、三亜市の鳳凰島に決まったのにはわけがある。北京五輪の聖火トーチのデザインは、美しく、高貴な東洋の神鳥「火の鳳凰」をイメージしたもの。三亜市は「鳳凰城」とも称される。「火の鳳凰」が飛び立つのに相応しい地というわけだ。
「火の鳳凰」は、最終的に北京五輪のメーンスタジアム「鳥の巣」に降り立つ。これは、「鳳凰は巣に帰る」という中国の昔からの言い伝えに合致し、吉祥と円満を意味する。
夕方6時近く、香港のアクションスター、成龍(ジャッキー・チェン)さんと地元天涯鎮のリー族(黎族)の女性鎮長、蒲慧芳さんが最終走者として「天涯海角」観光区の砂浜を走り、ゴールした。2人の手から聖火が聖火台に点火されたとき、観衆たちは美しい景色のなかで歌い踊った。中国国内の聖火リレーはこうして、美しくロマンチックに始まったのだ。
「世界の頂上」を灯す
5月8日9時17分、「聖火、チョモランマ登頂に成功!」と登山隊から報告が入った。北京五輪の聖火が、標高8844メートルのチョモランマの頂上に到着したのだ。山麓のベースキャンプで待機していた人々は喜びに沸き、涙で顔をぐちゃぐちゃにさせながら笑った。
1976年のモントリオール五輪の聖火リレーでは人工衛星が使用され、2000年のシドニー五輪では海底を通る「水中リレー」が行われた。今回のチョモランマ登頂は、これら2つに続く聖火リレーの奇跡といえるだろう。
7年前、北京が五輪開催都市に決まったとき、中国は世界に向って、聖火を「世界の頂上」に灯すと約束した。国際オリンピック委員会は、これは人間の能力への挑戦であり、これまでにないほどの勇気と忍耐力が必要だと言った。
このため、中国の登山隊は2年近くの時間を費やして準備してきた。
隊員たちは厳しい寒さ、低い気圧、薄い酸素のなか、随時起こる可能性のある雪崩や人を吹き飛ばすほどの威力をもつ突風などを恐れずに、ほとんどつかまるところもないような切り立った氷の崖をひとつ、またひとつと越えた。そして、ヒマラヤ山脈の北麓の登頂ルートに沿って、標高五200メートルから8300メートルの地点に6つのベースキャンプを設けた。
5月8日1時45分、漢族、チベット族の隊員12人が最後のベースキャンプを出発。「世界の頂上」にアタックした。8時間近くの苦しい登山を経て、「祥雲」はついにチョモランマの頂上に到着した。オリンピック聖火が初めて世界最高峰に灯され、中国中が熱狂した。世界中の多くのテレビ局もこの様子を中継した。
ギリシャ神話によると、英雄プロメテウスは「天上の火」を盗んできて人間に光と温かさ、文明をもたらしたという。そして今、平和、友情、進歩を象徴するオリンピック聖火が「世界の頂上」を灯した。登山隊の王勇峰隊長は、「聖火のチョモランマ登頂は、人間の勇気と知恵によるものであり、オリンピック精神を示している」と話した。
「温かい心」を伝える
5月12日、四川省でマグニチュード8の特大地震が発生した。死傷者は40万人以上にのぼり、経済的損失は1兆元を超えた。聖火リレーの喜びに浸っていた国民たちは、大きな驚きと悲しみのなかに突き落とされた。
それでは、突然の大震災は聖火リレーにどのような影響をもたらしたのだろうか。
5月14日、江西省瑞金市で行われた聖火リレーのスタート式典に参加した人々は、四川汶川大地震で犠牲になった同胞に1分間の黙祷を捧げた。また、活動は規模が縮小され、簡略化された。
リレーコースの沿道では、数千人の観衆が「四川がんばれ」の横断幕を掲げた。208人の聖火ランナーたちは、ゴール地点で、被災地のために百万元を寄付した。この後、「温かい心を捧げよう」「地震に打ち勝ち、被災者を救済しよう」が聖火リレーのテーマとなった。
ランナーの褚澤竜さん(18歳)は、自分が手にした聖火は、きっと被災者たちに温かい心を伝えてくれるはずだと語った。彼と同じ年の数人のランナーたちも、実際の行動をもって被災地を支援するという決意を示した。
5月18日に杭州市で行われた聖火リレーでは、地元の観衆たちはランナーを見送ったあと、被災地の人々にエールを送ろうと、沿道に設置された献血ステーションに列をなした。また、ゴール地点の黄竜体育館には、被災者を見舞う千羽鶴がいっぱいにかけられた。
5月24日、聖火が上海市にやって来た。沿道では、観衆が「四川がんばれ、中国がんばれ、オリンピックがんばれ」と絶えず声をあげた。上海市民の趙さんは、被災した四川の友人に携帯電話で電話をかけ、現場の様子を聞かせた。四川の友人は感動にのどを詰まらせながら、「ありがとう」と言った。
聖火が貴州省凱里市に到着したのは6月13日のこと。四川汶川大地震で生き埋めになり、120時間後に助け出された凱里市出身の蒋雨航さんも聖火ランナーとなった。蒋さんは「祥雲」を掲げ、「あのとき僕は崩れた建物のなかで、僕を励まし続けてくれた友達、一生懸命救出しようとしてくれた消防士、僕のことを気にかけ、助けようとしてくれた名前も知らないたくさんの人たちのことを思っていました」と語った。そして、「僕は聖火リレーを通して、助け合いの心を伝えたい。命の力強さを伝えたい。そして被災地を気にかけ、支援してくれたすべての人々に恩返しをしたい」と続けた。
突然の大震災により、もともと6月中旬に予定されていた四川省の聖火リレーは取り消された。「祥雲」が四川にやって来ることはないと誰もが思っていたとき、北京オリンピック組織委員会は、四川省の聖火リレーは8月3日~5日に行うと発表した。綿陽市、広漢市、成都市といった3つの被災都市をまわるという。
このニュースに被災地は大いに沸き立った。オリンピックは自分たち被災者を見捨てなかったのだと。
多くの人たちは、聖火が被災地にもたらされることで、オリンピック精神のなかの強さと進取の精神をより体現することができると考えている。各地の人々が被災者に送った愛と真心、被災者自身の前向きな気持ちと努力は、聖火リレーのなかで、オリンピック精神をさらに高度なものへと高めることだろう。0809
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