出張でやってきた北京では、飛行機の到着から離陸まで、いつでも、どこでも、日ごとに高まるオリンピックへの熱気を感じた。オリンピックがついに訪れ、北京は変わった。
北京の交通の変化
これは、北京に到着後、友人との約束に間に合った第一回目である。
飛行機が遅れ、北京に着いたのは、すでに16時40分になっていた。毎回、北京に来ると、飛行機の遅れがなくても、交通渋滞が理由で、いつも約束に間に合わない。それを思うと、今回はなおのこと望みはなさそうだ……。
けれど思いがけないことに、車は軽快に広々とした道路を走り、予想していた渋滞の車の列、けたたましいクラクションの音もなく、窓の外には、秩序ある状態が見え、あせっていた気持ちが落ち着いてくる。運転手と世間話をすると、北京の交通について、感慨深げに感想を漏らす。「北京が渋滞しなくなった。運転して8年になるが、今のようなラッシュの時間に道がこんなに空いているなんて、見たことがない。オリンピックにむけて、政府が公用車に対して制限策をとったし、市民には地下鉄やバスを使うよう提唱している。以前よりとても運転しやすくなって、気持ちもいい。これこそ“道が通れば万事が通る”だよ」。友人と約束したレストランにつくと、なんと、まだ六時前だった。
天気も変わった
飛行機を下りると、透き通った明るい気分に包まれた。
なにか環境が今までと違うようである。建物はいつもの通りだし、道もいつもどおりだが、なにか新鮮さを北京に感じる。最初は、気のせいかと思ったのだが、しばらくして同行者の一言で謎が解けた。
「なんて青い空だろう!」
なるほど!空港の上空には、さえぎるものもなく、高い空に淡い雲がかかっている。こんな空は、これまでの北京への印象のなかには得難いものだった。北京の天気は変わったのだ。北京はオリンピックの好天気のために、知恵をしぼったに違いない。
空気中に浮遊する埃を最大限に防ぐため、今夏、北京の数多くの工事現場では地面から埃があがらないような処理を厳格に施し、北京市の関連部門は永定河沿岸の百カ所もの砂石置き場を全て閉鎖した。また北京市は、緊急に何ムーかにわたる防風林を増やしたと聞く。北京地区最大の森林公園―オリンピック森林公園も北京の防風防砂林として緑のカーテンの一部分となっている。
「こんな懸命の仕事で人工的に天気を改善しても、どのくらい続くのだろう?副作用はないのだろうか?」私のこんな質問に対し、空港に迎えに来た友人は、「そういう問題は北京の庶民に聞いてみるべきだ」と答える。
路上、タクシーの運転手は、私の質問に少しもためらうことなく「もちろん効果は長く続くよ!風と埃を防ぎ、空気汚染を減らし、水質を改善して貯水する。長く続かないものなんて、どれがある?今日、この天気を見られたのも、数日前に人工雨を降らせたからで、雨がやんだすぐあとは涼しく気持がよく、空気は特別だった。北京ではこんないい天気は何年ぶりだよ!」と言う。
以前、郁達夫が北京について書いた一節を覚えている。「城内の新緑は洪水のようで、屋根は見えず、樹木が見えるのみ。光のなかで、柔らかな緑の波がふるえ、つやつやと輝いている」以前、私の知る北京は緑が足りず、光は透き通らず、緑はあっても灰色に包まれていた。今日、オリンピックの気分にあふれた北京を駆け回ってみると、全てが本来の姿に戻っている。陽光は特別に明るく輝き、暑くはあるが、このような天空が人々の眼のなかにあると、心は広々と、爽やかになる。
北京人の変化
天が変わり、道が変わり、人もまた変わっている。それは例えば、オリンピックのPRソング「北京へようこそ」の歌うところである。今回、北京に来てみると、さらに多くの礼遇と優待に迎えられたように思う。
まずこのような感覚を与えてくれたのは、北京のタクシーの運転手たちである。一度、タクシーの車中で、信号のない小さな十字路で、正面から人がやってきたことがあった。運転手は即座に車をとめ、窓から顔を出し、歩行者に手をふり、先に行くように合図した。歩行者は笑顔で応え、礼儀正しく頷き、運転手に手をふって感謝を示し、交通をさまたげないように急いで歩いていった。車が再び走り出した時、私は心から運転手をほめた。運転手の李さんは、謙遜して、「当然のことですよ」と私に言う。そして、続けて、「北京はオリンピックの開催都市として、スポーツの道徳精神を広めています。私は北京のごく普通のタクシーの運転手であり、ほかには何もできませんが、最低限の譲り合いはできます。ささやかな道の譲り合いは、多くの時間をロスすることはできませんし、不意の交通事故を大幅に減らすこともできるのです」。さらに、李さんは、タクシーは北京オリンピックの直接の窓口であり、外国の友人たちと触れあうもです。だから、北京タクシーの運転手たちは、特に礼儀を重視し、中国の美徳を細部にわたるまで体現し、世界の人々に良い印象を与えなければならないのだという。
帰路にあたっても、私はまた北京の変化を体感した。7月7日午前10時半、私は首都国際空港の第3号ターミナルに車で到着した。1列目の道路も2列目の道路もタクシーがいっぱいに並んでいたため、私の乗った車は3列目に停車した。ターミナルにいくには、1列目、2列目の道路を横切るしかなく、湧き上がるような車の列に、私は恐る恐る足を踏み出したり戻したりしていた。横断に困惑していた時、「B.J9909」のナンバープレートをつけたタクシーが、横断歩道の前にとまり、運転手は私に手をふり、「先にどうぞ!」と言ってくれた。こうしたことは、外国の人口が少ない街でようやく見られるような情景であり、北京のような人口の密集した、乗客量の多い都市で出現したということが私の心を強く打った―オリンピックがやってくる。北京は本当に変わったのだ!(光明日報より)
人民中国インターネット版 2008年8月14日
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