北京オリンピックでは8月16日午前9時までに、332のメダリストが決まった。私たちは、マイケル・フェルプス選手のように、奇跡を起こしたような選手たちに喝采を送ると同時に、初戦で敗れた選手や、五輪に出られなかった多くの選手を忘れてはならない。
そうした選手たちも、かつては優勝した選手たちと同じように努力し、競技場で自分の技を思う存分披露する夢を抱いていた。しかし栄誉と現実の悲しみに面した彼らにとって、失敗という言葉は永遠に避けたい言葉だろう。
五輪競技場での勝負はとても大切だ。しかし偉大な人格と公平な競争への尊重はさらに主唱される。「同じ世界、同じ夢」という理想の中で、負けた選手たちは英雄的な姿勢で、それぞれの角度からオリンピック精神と生命に対する追求を解き明かしている。
試合の残酷さと競技の公平さは、スポーツの永遠の魅力だろう。選手が競技に身を投じることは、つまりこの残酷さを選択したということだ。
私たちが目にするのは、表彰台に上がった時の選手であり、自分が定めた目標に進んでいる時の選手たちは私たちの目には触れない。これはオリンピック精神の感化と鼓舞であり、スポーツ競技の強靭さと執着さでもある。
敗者たちの失意と努力が勝者の実力を向上させ、彼らを本当の強者として世界の競技場に出場させる。そういう意味でも、敗者の貢献はオリンピック精神を豊富にしている。
オリンピックでは成敗を論じず、成敗で英雄を論じない。これは私たちが抱くべき人文精神と大国的な心理状態だ。私たちはメダルを獲得した選手に拍手を送ると同時に、オリンピックに向けて努力し、敗れた選手たちにも注目しよう。
エアライフルで金メダルに輝いたカテリナ・エモンシュ選手が、4位になった杜麗選手を抱きしめ、花束を贈ったのと同じように、私たちも全ての敗者に理解と敬意、寛容さを捧げ、私たちの誠意で力のない者に力を注ぎ、悲観的になっている者を前を向かせよう。
「チャイナネット」 2008年8月17日
|