北京五輪の聖火リレーが、クーベルタンの故郷パリで行われた時、車いすに乗った女性の聖火ランナーが若い男性に襲われ、世界の人々を驚かせた。殴られてもトーチをしっかり握っていたのが、車いすフェンシングの選手だった金晶さんだ。
9月6日夜に行われたパラリンピック開会式では、天壇で採火した聖火が国家体育場「鳥の巣」に入場し、金さんは場内最初のランナーを務めた。
金さんは、北京の五輪誘致が成功した年にフェンシングの選手になり、上海車イスフェンシングチームを経て、ナショナルチームの選手に選ばれた。障害者のプサンアジア大会では銀メダルを獲得し、世界選手権でも銅メダルに輝いている。
健常者は、障害者のスポーツに対する情熱を理解できないだろう。金さんは、多くの身体障害者がスポーツに魅せられるのは、人とかかわる中での「団結感」が好きで、「身体の一部に障害があっても、人生に障害があるわけではない。スポーツはみんなに平等で、チャンスを与えてくれる」からだという。
金晶さんは障害者を3つに分ける。一つは、劣等感があり、自分が健常者に劣っていると思い、どこへも行かず社会に参加することを怖がっている人。2番目は、身体の障害から心のバランスを崩し、社会や周りの人に借りがあると思っている人。3番目は金さんのように、朗らかで楽観的、自信を持っている人だ。
聖火の灯った鉢を持つ金晶さん(左)
金さんはこう信じている。「パラリンピックの開催で、北京や共催都市の公共施設は、全てバリアフリー化した。そしてこの特別なスポーツの盛会は、ヒューマニズムの気持ちや命への賞賛、人に対する尊重などを含み、国内の人たちに障害者がとても大きなグループだということを認識させた。北京パラリンピックは、中国の障害者事業の発展における一里塚になるだろう」
金さんが外国に行って印象深かったことがある。それは、国内では障害者の姿をあまり見ないが、外国ではよく見かけたことだ。「障害者がどうして外に出たがらないかというと、障害者は他人と自分が異なることを知っており、身体上の欠陥を他の人に知られなくないから。また社会が私たちに対する態度が問題で、タクシーに乗る時にはたびたび断られたこともある」
スポーツが障害者たちを勇気づけたことは間違いない。そして社会の思いやりは、彼らを社会に溶け込ませた。
四川大地震発生後、金晶さんはボランティア活動を行い、特に今回の地震で障害者になった人へは、大きな関心を寄せた。病気で障害者になってからずっと家族や友達の愛に恵まれてきた金さんは、こうした愛のある環境はとても良いと感じている。
四川大地震や北京パラリンピックで、中国の人たちは「愛の教育」を受け、中国の障害者の将来がますます良くなると金さんは信じてやまない。
「チャイナネット」2008/09/11
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