1978年に中国で改革開放政策が実施されてから今年でちょうど30年である。中国は飛躍的な発展を遂げ、驚くほどの大きな変化が起こった。自動車産業の発展も例外ではない。中国は自動車産業が非常に立ち遅れた国から今の自動車生産大国へと変わった。この変化は非常に大きい。未来の中国自動車産業はどのように発展するのか? 中国自動車産業30年の歩みを顧みることは、今後の発展に役立つかもしれない。
グローバル化時代の合弁ブーム
![]() |
一汽•フォルクスワーゲンのアウディA6の組み立てライン |
1984年1月15日、「北京吉普(ジープ)公司」が設立された。これは中国自動車業界における最初の合弁会社である。1985年9月26日、最初に「北京—JEEP」と命名されたチェロキーが完成した。北京吉普公司は20数年の試行錯誤によって、中国自動車工業の発展のために得がたい経験を提供した。「北京吉普」をきっかけとして、中国の自動車工業は「市場と技術と交換する」時代に入った。中国の巨大な自動車市場を提供することで、欧米先進国の自動車製造技術を入手したのだ。
今でも相変わらずこれらの合弁•提携自動車企業が国内の自動車市場をリードしている。合弁•提携の状況は次の通りである。
米ゼネラルモーターズ(GM):上海GM、金杯GM、上海GM五菱
フォードグループ?:①フォード自動車―長安福特•江鈴汽車②マツダ自動車―海南マツダ
ドイツのフォルクスワーゲン社:①フォルクスワーゲン─一汽(第一自動車工場)フォルクスワーゲン•上海フォルクスワーゲン。②一汽アウディ
日本のトヨタ:天津一汽トヨタ•広州トヨタ
さらに、日本のスズキ自動車、いすゞ自動車、日産、イタリアのフィアット、BMW、ヒュンダイなどの合資会社が、いたるところに設立されている。
そのため、中国自動車工業は万国自動車工業となった。中国自動車市場は全世界のブランド自動車が競争する市場となった。非公式のWTO協議文書によれば、中国の自動車関税率はWTOの加盟前の80~100%から2006年の25%まで低下している。輸入自動車の割当額は毎年15%減っており、割当額がなくなるまで減り続ける。
しかし、ブランド権から技術の売り渡しまで、外国側が基本的に合弁会社の運命を握っている。このため、この政策が実施された時には、大きな論争を引き起こした。合弁会社の中には株主構成が複雑なため、自ら研究•開発した製品はブランドの帰属先や製品構造の調整など多くの問題を抱えており、さらに外国側の反対もあり、合弁会社が自分のブランドを作るのはなかなか難しい。1998年から北京吉普公司は連続60カ月の赤字で、この政策の失敗を示している。
その希望を合弁会社に寄せている限りは、自動車によって強国となる夢は、水中の月や鏡の中の花のようなものである。中国の自動車工業はどの道をゆけばよいのか。人々は今度はその目を大きな国有自動車企業に向けた。
「中国画報」より 2008年3月31日