1978年に中国で改革開放政策が実施されてから今年でちょうど30年である。中国は飛躍的な発展を遂げ、驚くほどの大きな変化が起こった。自動車産業の発展も例外ではない。中国は自動車産業が非常に立ち遅れた国から今の自動車生産大国へと変わった。この変化は非常に大きい。未来の中国自動車産業はどのように発展するのか? 中国自動車産業30年の歩みを顧みることは、今後の発展に役立つかもしれない。
中国ブランド自動車の出現
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1990年5月、上海大衆汽車有限公司の中独両国の技術者たちは乗用車の組み立て技術を研究している |
高価格と技術コントロールから得られる利潤手段(利潤の割りあて、さまざまな名目の技術移転費、部品供給、設備の購入など)で、合弁会社によってグローバル企業が中国市場から得る利潤は巨額にのぼった。上海大衆が乗用車生産をはじめて20年で、サンタナの販売価格は20万元余りから9万元余りまで下がった。しかし、1998年と1999年の2年間で、23万台余りの乗用車を生産した上海大衆は、あいかわらず約60億元の利益を獲得している。ゴールドマン•サックス社の研究報告によると、ドイツのフォルクスワーゲン社の2003年上半期の利益の80%は中国から得たものである。その同期の1株あたり1.54ユーロの利益の中で、中国が1.30ユーロの貢献をしているという。
90年代末のWTO加盟後、中国は市場開放という承諾条件の下で、外資進出の制限をゆるめた。それと同時に国内民営資本の制限も解除した。民営自動車企業が生まれた1つの重要な要因は、個人の自動車需要が引き起こしたものである。1995年、自動車総販売台数の中で個人購入者が占める割合は30%であったが、2000年の個人購入者は50%以上になった。個人消費者と商用消費者の根本的な違いは、前者の価格に対する敏感さが後者よりもはるかに高いことである。そのため、自社開発の製品は品質と技術水準の面で欠点が存在しているにもかかわらず、その低コストでの製造能力によって、個人消費者の市場の中に生き残る空間を見つけることができたのである。このため、市場開放の規制緩和と個人の自動車消費の増加が自社開発企業の成長の客観的な条件となった。
奇瑞汽車有限公司は最も代表的な中国民族自動車企業である。1997年3月18日に着工、1999年12月18日に奇瑞乗用車の最初の1台が完成した。これは驚くべき速度であるにもかかわらず、最初は安徽省蕪湖市のある村経営の工場に過ぎなかった。1992年から1993年の経済バブル期に蕪湖市の村経営の工場で、一年で数百台の乗用車を生産した。それは1億元余りの価値に値する。この現象は経済が遅れた地方の指導者の注意を引き、乗用車を生産するというアイデアが生まれた。1995年に蕪湖市代表団が一汽を見学した時に、蕪湖出身の尹同耀さんと出会った。尹さんは1983年に合肥大学自動車工業専攻を卒業してから、一汽で12年間半働いていた。この同郷の人材を見つけてからというもの、蕪湖市は尹さんに、蕪湖に戻って自動車関係のプロジェクトを管理してくれるように、熱心に頼んだ。尹さんは相手の真心に心を動かされ、とうとう蕪湖に戻った。尹さんは自分の同級生魯付俊さんと高立新さんを「騙して」蕪湖につれて来て、雑草が生い茂る空地を、ここが発動機工場で、ここが研究開発センターで、ここが組み立て工場で、と嬉しげに二人に紹介したのだった。
1996年に最初の乗用車を生産するために、奇瑞は2500万ドルでイギリスのフォード社からエンジンと生産ライン1本を導入した。導入は「製品完成プロジェクト」としての契約だったため、イギリスは20名余りの技術者を派遣して、その備え付けをした。しかし、これらの人々はしっかり仕事をしない上に、技術も非常に複雑で、難度も高いため、間もなく手のつけられない状態にまで陥った。尹同耀さんはひたすら待ち続けるこの状態に耐えかね、熟考を重ねたのち、イギリスの技術者たちを帰国させ、自分でこのプロジェクトを担当した。蕪湖市の詹夏来書記は尹同耀さんに「もし失敗したら、どうするのか」と厳しい表情で問い詰めたが、尹同耀さんはすぐさま「失敗したら、長江に跳び込みます」と答えたという。1999年5月18日、想像以上の困難をとうとう乗り越えて、奇瑞の最初のエンジンが完成し、起動した。生産ラインのすべてが据え付けられたとき、イギリス人の契約不履行によって差し押さえた400万ドルはまだ使い終えていなかった。
融通性のあるメガニズムが民営自動車企業の成功をもたらした。2007年、中国自社開発ブランドの乗用車の売り上げは124万台で、乗用車売り上げ総台数の26%を占めた。自動車販売台数による中国ブランドの車種別売り上げランキングは、夏利、奇瑞QQ、福美来、旗雲、比亜迪F3、駿捷、自由艦、奇瑞A5、奔奔、金剛である。この十大国内ブランドで国産ブランド自動車総販売台数の72%を占めている。
中国の民族系自動車工業は間違いなく相当な潜在力がある。世界の自動車工業の巨頭と同じ舞台にのぼるのと同時に、中国自動車産業の巨頭となるのが、中国自動車業界人の最大の夢である。この夢はいつ実現できるかが、次の30年間のテーマになるのかもしれない。
「中国画報」より 2008年3月31日