監督 張元 2006年 92分
あらすじ
1960年代初頭。両親が軍人で、祖母に育てられていた4歳の方槍槍は軍属家庭の子どもが入る全寮制の幼稚園に入れられてしまう。そこでは規律と自立が厳しく要求され、基準を満たした子どもには褒美として小さな赤い紙の花が与えられる。毎日子どもたちが獲得した花は表に貼り出され、悪いことをすると没収されてしまう。
初めは赤い花をもらうべく努力する方槍槍だったが、年寄りっ子で服の脱ぎ着もなかなか出来ず、おもらし癖のある彼はほとんど花がもらえない。特に子どもに厳しい李先生を方槍槍は妖怪が人間に化けているんだという噂をばらまき、夜中に園児全員で寝ている李先生を縛り上げようとして失敗、友だちを扇動した罰で隔離されてしまう。
隔離というおしおきからようやく解放された方槍槍だったが、今度は他の子どもたちに自分が避けられているのを感じ、友だちに乱暴することで何とか注目を浴びようとするものの、孤独感は深まるばかり。
ある日、先生の目を盗んで、幼稚園からの脱走に成功した方槍槍が外の世界で見たのは、やはり胸に赤い花をつけて行進する大人たちの姿だった。方槍槍は大人の世界も幼稚園と同じであることに気づき、深い絶望感に襲われるのだった。
解説
王朔の自伝的小説『看上去很美』を盟友の張元が『ウォー・アイ・ニー』に続いて映画化。原作は60年代初頭の中国社会へのノスタルジーも感じさせたが、張元と脚本の寧岱は全体主義的な集団生活に反発する腕白園児を描くことで、明らかに抑圧的な社会に反抗し、人間性を希求する精神を描いている。映画が公開された当時、『カッコーの巣の上で』幼稚園版だとか、『ソドムの市』幼児版と評された所以である。
王朔の小説はたくさんドラマ化、映画化されているが、ある意味、原作を超えたという点で、この作品は姜文の『太陽の少年』と並ぶ傑作ではないかと思う。映画自体も基調は童話的で愛らしく、でも、なんとなく怖いという不気味感が漂っていて、面白おかしい。中国の幼稚園の雰囲気や、子どもたちの童謡やお遊戯を知ることが出来る楽しみもある。台詞に採録したのは、子どもたちが服の着方を覚える歌。なるほどねえ、と面白かった。日本にはこういうのはないなあ。
見どころ
とにかく主人公の男の子が王朔そっくりで、よくぞ見つけたと感心。南燕北燕姉妹の南燕を演じるのは張元と脚本の寧岱という元夫婦の長女。賢そうな顔立ちはママ譲りだ。実は中国の子役はこまっしゃくれた演技をしこまれすぎていて、大抵はうんざりするのだが、この映画の園児たちは実に生き生きと表情豊かに抑圧された幼稚園児を演じていてお見事。娘と同世代の子どもたちの素の魅力を上手く引き出した張元の忍耐の賜物だと思う。主役以外の何人かの子どもたちも、それぞれが個性的で、すぐに顔と名前が一致するようになっている。
60年代は軍人が優遇された時代。幼稚園も故宮の近くの労働文化宮の中にでもあるのかと思われる、赤壁や石畳、大理石の階段などがあり、道具で作ったのだろうけど、メリーゴーランドや園服などが可愛らしくセンスがいい。かなり、恵まれた子どもたちの幼稚園という設定なのだろう。原作は確か北太平庄あたりの設定だったから、まあ、このあたりのモダンチャイナ風味はイタリア資本が入っているので欧米受けを狙ったものかもしれない。テーマといい、テイストといい、非常に珍しいタイプの中国映画である。(水野衛子=文 山本孝子=イラスト)0809
人民中国インタ-ネット版 2008年10月
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