中国の40年にカメラを向け続けた日本人写真家

 

日本写真協会の齋藤康一理事長は、日本の著名な人物写真家だ。斎藤さんは80回以上訪中して中国各地を撮影し、この40年余りの中国の天と地がひっくり返るような巨大な変化を、レンズを通して考え、フィルムを使って記録してきた。中国の発展に話が及ぶと、齋藤さんは感無量の様子で「中国に起きた巨大な変化は、想像を遙かに超えている」と語る。「中国新聞網」が伝えた。

今年73歳になる高齢の齋藤さんは、小さいころ祖父に「日中両国は今戦争をしているが、中国人は非常に優秀な民族だ。誰であれ中国とは良い付き合いをしなければならない」と聞かされたのを覚えている。祖父の話は、幼い齋藤さんの心に色褪せぬ記憶として深く刻まれた。このため、10数年、20年後に思いがけず中国へ行く機会を得た時、当時30歳の齋藤さんは少しも躊躇せず、カメラを手に日本を発った。

1965年当時、中日はまだ国交を回復しておらず、日本人にとって中国は神秘的な見知らぬ土地だった。広州、武漢、上海、北京、西安、延安・・・・。40日間、一刻も休まず各地を巡った。目にするものすべてが新鮮でならなかった。行き交う人々は人民服一色で、幼稚園生から老人まで異口同音に「祖国建設のために貢献する」と話していたが、それでも当時の中国は齋藤さんに、清廉で公正な、純真で美しい印象を残した。齋藤さんはこの想い出を写真集「1965年中国」にまとめ、永久に残した。

齋藤さんが再び中国の地を踏んだのは、すでに改革開放の時期だった。上海の街中のファッショナブルな青年、バレエ学校の少女、忙しく働く私営企業の従業員、二胡を弾き京劇を歌う北京の老人・・・・。齋藤さんは転換期にある中国の心揺さぶる瞬間を、レンズを通して急いで記録した。帰国後に相次いで出版した写真集「上海'92~93」「北京'95~96」は、日本で幅広く注目された。

写真を前に齋藤さんは「中国は日々発展している。その巨大な変化の程度は、私の想像を遙かに超えている」と感嘆する。中国の1つ1つの素晴らしい場所、1つ1つの改革を見逃さぬよう、齋藤さんは中日間を80回以上往復しており、その足跡はほぼ中国全土に及ぶ。齋藤さんが最も好きな中国の都市はやはり北京だ。他の大都市ではすでに見るのが難しい、純朴な気風と厚い人情がまだ残っているからだ。

齋藤さんは「多くの人が私に抱く印象は『中国』です」と笑う。しばらく齋藤さんの姿を見なかった友人は、再会時には必ず「また中国に行ってたんでしょう?」と尋ねてくる。齋藤さんは日本人が自分の写真を見て中国を理解することで、両国間の相互理解が促進されることを望んでいる。「私にとって中国を撮影することは楽しみであると同時に、生涯の事業でもあります」と、齋藤さんは自身の中国への思い入れを解釈する。

 

「人民網日本語版」2008年11月5日

 

 


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