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ジャムゲートに通じる国道318号線 | シガツェ(日喀則)を離れ、ネパールに通じる国道318号線に沿って西南へ進む。中国・ネパール国境のジャム(樟木)ゲートまで2日。さらに244キロ先のティンリ(定日)県はチョモランマ・ベースキャンプに近い町である。
チベット自治区の西南のはずれに位置するティンリ県はチョモランマのふもとにあり、南部はネパールと国境を接している。乾燥した気候で、紫外線が強く、年平均気温は0.7度と低い。全県の平均標高は4300メートル、県内には8000メートルを超える4つの峰、チョモランマ、ローツェ、マカルー、チョーオユーがある。神秘的な色彩を帯びた雪山は、世界各地の登山家や観光客を引き付け、ティンリ県の名も認知されつつある。
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標高5220メートルのラクパ・ラ峠で車を止める | 標高5200メートルの氷河で遭難
4200、4600、4800、5200メートル……国境検査所を過ぎたが、海抜は上がり続ける。やがて標高5220メートルのラクパ・ラ(加錯拉)峠に到着。すでに午後2時を過ぎていた。
ふいに車がゆっくりとスピードを落としたかと思うと、停止した。前を走っていたトラックやバス、トラクターも動かなくなった。前方の道路が補修中で通行止めになり、夜にならないと開通しないという。皆、イライラし始めた。標高5000メートル以上の高地では、滞在する時間が長くなればなるほどさらに危険が増すことになる。この先は曲がりくねった長い山道であり、夜間に走るにはあまりに危険だった。
考察隊のリーダーが関係者を召集し、緊急に協議した結果、先を急ぐために補修区間の通行を避け、車で道の脇の川原に出て川を渡るという大胆な決定を下した。不安はあるものの、一刻も早くティンリ県に到着したいという思いから、異論を唱える者はない。
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羊の放牧をするおじいさん | 考察隊の王隊長は、数人の隊員と川岸に沿って渡河点を探った。幅200メートルほどの浅瀬が見つかり、簡単な実地調査の後、そこから川を渡ることになった。川の水は深くはなかったが、流れは速い。川底は主に川砂利と土砂である。「ジープでこの浅瀬を渡るなんて、大丈夫だろうか」という懸念が頭を掠める。王隊長の指揮に従って、車は次々に険しい坂を下って渡河点までたどり着いた。
「皆さん、気をつけて。まず私が先に渡ります。皆さんも落ち着いて順番に川を渡ってください。では、出発します」
彼の断固たる口調に、皆の気持ちが落ちつく。王隊長が先頭に立った。スピードを上げ、激流に飛び込んだ車は、川の中を揺られていたが、やがて対岸にたどり着いた。皆ほっと胸をなでおろす。続いてほかの車も順々に川を渡り始めた。すでに四時近くになっていた。その時、器材を満載した七号車が急流に飲み込まれ、進むのが困難になった。車のフロントが跳ね上がったり沈み込んだりしているうちに、突然、進まなくなってしまった。
「止まらずに、スピードを出すんだ」
王隊長が、慌てて叫ぶ。彼のかすれた叫び声から、深刻な状況に陥っていることがわかった。七号車はあっという間に水に飲み込まれ、川底の砂利に車輪を取られ、動けなくなった。
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たくさんのハタで縄をない、7号車を川から引き上げる隊員たち | 「アクセルを踏むんだ!頑張れ!」
私たちも叫んだ。王隊長は果敢に向こう岸から自分の車で戻ってくると、氷のように冷たい川に跳び込んだ。ワイヤロープで七号車を牽引しようとしたが、急に引っ張り過ぎたせいか、ワイヤロープが切れてしまった。途方に暮れていると、考察隊に同行しているイシズェウン法師が名案を思いついた。「ハタ(チベットの薄絹)で引っ張ろう」半信半疑で各車から集めたハタを濡らして縄をなう。それを使って七号車をゆっくりと引き上げることができた。
しかし今度は私たちの四号車が川の中央で泥にはまって動けなくなってしまった。車を降りて押すほかはない。標高5000メートルの高地では、呼吸するにも困難を伴ううえ、冷たい水の中で車を押すのはさらに苦しいものだった。思い切って川に跳び込み、車を必死に押し出す。車輪がフル回転しているため、泥が体に跳ね上がり痛みと冷たさを感じる。誰もが全身びしょぬれになった。車はますます深くはまりこんでしまった。
王隊長は再三悩んだあげく、牽引をあきらめた。ほかの車まで飲み込まれてしまったら、さらに面倒なことになるからだ。大型の牽引車を呼ぶことになった。私たちは川の中にガタガタ震えながら立ちすくんでいる。頭がくらくらし、息が詰まって呼吸するのが苦しくなっていた。若い隊員たちが裸足で川を渡り、酸素ボンベを運んでくれる。
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標高5000メートルの川を渡る | 「牽引車が来なかったら、車を捨てるしかない」
王隊長が、トランシーバーを通じて伝えてきた。器材は車に積み込んである。このような状況で水の中を歩き、すべての器材を対岸に運ぶのは絶対に無理だろう。
夜9時をまわった。川の中で5時間ほど待ち続けたため、寒さに震え、空腹に襲われた。しかし、救援の牽引車に関する知らせはまだない。
「私が車で牽引しよう。せいぜい一緒に落ちるだけだ」
私たちの苦しい顔を見て、王隊長は思い切った決断をし、危険を冒して再び対岸から戻ってきてくれた。ほかの車のライトが作業しやすいように川を照らす。多くの人々の協力のもと、四号車はようやく引き上げられた。
「やった! 脱出できたぞ!私たちは勝ったんだ!」
ティンリ県の宿泊先に到着したときには、深夜になっていた。冷え切った体を暖めるためにと、レストランのコックがショウガ湯を作ってくれた。熱々のショウガ湯を手にしながら、心までぽかぽかと温まるのを感じていた。氷河での遭難を翌日になって思い出し、あらためてぞっとした。
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