中国の一農民から見た日本
―見えざる大きな手に後押しされて―
山東省済南市 李虎
初めて日本を知ったのは、子供の頃テレビで見たアニメからだった。1970年代に生まれた私は、子供の頃に見た『一休さん』の情景をまだぼんやりと覚えている。改革開放初期の中国の農村では、まだテレビが普及していなかった。当時、この済南近郊地区の村には二、三台の白黒テレビしかなかった。人目を引きつけてやまない『一休さん』を見るため、同級生達は次から次へと飴や果物を贈ってテレビがある家の子の歓心を買っていた。夕方頃、みんなは頭を寄せ合って、首を長く伸ばし、新奇を求める眼光と知識を求める熱望を持って異国から来たアニメを鑑賞し、物語の進展に応じて喜び、大いに賞賛し、憧れの気持ちをいだいた。みんなが一休さんの知恵ある“つるつる頭”に深く惹きつけられていた。
また、後からやって来た『花の子ルンルン』、『トランスフォーマー』も同様にありありと目に浮かび、今なお記憶に新しい。今の子供達は『ウルトラマン』に夢中になっているが、私はそれでもわざわざ『一休さん』の全話を息子に買い与えた。子供に一休さんの聡明さと知恵を学ばせ、一休さんのように知恵と博学を身につけて欲しいからである。
次に日本を認識したのは、自分が使ったことのある日本製品からだった。1990年代の初めに私が買ったバイク「SUZUKI 90」の場合は、風雨の十数年を共に歩み、何度か前後のタイヤを交換したことがある以外、残りの部品はどれも元の配置のままで、その品質が厳しい試練に耐えるものであることは明らかだった。
また、日本を認識したのは、私たちの村から日本に輸出する農産物からだった。日本の輸入製品に対する厳格さ、入念さ、几帳面さは国民にもよく知れ渡っている。今の時代、山東省の一農民も、この点を知っておかないと、いっぱしの山東の農民とは言えない。
もしかしたら、あなたは気付かないうちに既に日本国民の日常食品の供給者になっているのかもしれない。もしかしたら、加工している衣料品、靴、帽子の製造技術が、検査の結果、不合格ということで貿易会社に無情にも拒否され、仕方ないと感じたかもしれない。もしかしたら、今まさに栽培している野菜、果物、穀物が、使っている肥料や農薬が適切でないということで、無情にも加工会社から返品され、呆然としているかもしれない。もしかしたら、今まさに飼育している家畜や鶏、水産品が、肉の品質や残留薬品のせいで加工会社に無情にも拒絶され、傷ついているかもしれない…
あなたは考えたことがあるだろうか。この日本から来た見えざる「大きな手」が、あなたの目を覚まさせようとしているということを。この見えざる「大きな手」があるため、農業副産物の品質に関するあなたの認識は絶えず向上し、あなたが身に付けている健康食品の生産技術も絶えず進歩している。
この見えざる「大きな手」は、まさに善良で、友好的で、親切なひとつの「大きな手」なのではないだろうか?
国境どころか「省境」すら出たことのない農民にとって、日本は遙か遠くの見知らぬ土地だが、科学技術が日進月歩し情報網が四方八方に繋がっている今日、それはごく近いところに在り、手が届くほどである。
一部分を目にして全貌をうかがうと、日本は、農業副産物の面だけでなく、多くの面で私たちが学習するに十分値する対象である。
日本を感じとりはじめると、桜の花が爛漫として海風がそよそよと吹く国が、風光明媚な富士山の頂きからあなたに向かってお辞儀して微笑んでいることが分かるだろう。この微笑みを前にして、あなたは果たして前進する歩みを速めずにいられるだろうか?
人民中国インターネット版 2008年12年4日