桜
―熱烈で奥深く静かな扉―
吉林省長春市 陳耀輝
「さくらさくら やよいの空は 見わたす限り かすみか雲か 匂いぞ出ずる いざやいざや 見にゆかん」 これは日本の『さくらさくら』という歌の中の歌詞で、桜が満開の時に人々が浮き立って開花を伝え合う喜びの光景を描写したものです。
桜を初めて見たのは、中学校の教科書に出ていた魯迅先生の文章です。「上野の桜の花が爛漫と咲く時節、眺めるとピンク色の薄っすらとした雲のようだった。」 清朝で初代駐日大使を務めた黄遵憲氏にも桜を賛美する詩がありました。「日本の桜は眩しいばかりに明るく、瑠璃のような一曲が故郷への想いを呼び起こす、辺り一面に桜を植えて心を込める、なかなか別れ難いのも桜である」先人達の桜の花に対する吟詠は、鮮やかで美しい花園の扉へとつながる一筋の道を彷彿とさせ、熱烈に奥深く、そして静かに桜へと想いを馳せさせるものがあります。
2004年の春、私は中国青年代表団に随行して日本を訪問しましたが、それは、まさに桜花爛漫な季節でした。光り輝く桜は十分に目を楽しませてくれたばかりでなく、その日本文化における特別な地位についても実感させてくれました。日本の桜は全部で300種以上あります。桜は日本の国花であり、東京都の都花でもあります。日本では、4月は新年より活気に溢れています。それは、まさに桜が満開となる時節だからです。毎年3月に入ると、ほとんど全ての日本人は桜が満開になるのを心待ちにし始めます。陽気が暖かくなりだした頃、肌寒い春風の中、一輪目の桜の花がついに笑顔を綻ばせると、年に一度のお花見の序盤戦が始まります。1本1本の桜は、1つ1つのピンク色の雲を彷彿とさせ、山の斜面に、道ばたに、公園の中に、庭園の中に、ひいては野原の窪地や谷の間を漂います。桜が南から北へ次第に咲いていくにつれ、日本列島全体が一面の花の海と祭りの祝福の中に浸っていきます。この「素晴らしい花を共に愛でる」という全国民が参加する活動において、人々はこの上なく楽しそうです。
日本人が桜を観賞する習慣の由来は古く、記録によると、お花見は江戸時代から春の民間行事となりだしました。日本の古典文学作品の中には、そうした桜に関する記述が至るところに見られます。歴代の文人墨客が桜を詠じて数え切れない程の作品を残してきました。日本の古典文学の経典とも言える『古今和歌集』の春の巻うち、桜を詠んだ歌は70首もあり、和歌集の大半を占めています。
日本人は何故ここまで桜に惚れ込んでいるのでしょうか?日本の古語にある「桜時」は春を示しています。日本人のお花見はつまり心で桜を観賞し、春を賛美することなのです。桜の品格は日本人がより崇拝するものです。『日本風景論』という本の中に、次の素晴らしい記述があります。「日本人はいつも桜を民族の気性の代表としてきた。桜は美しいが、花びらはすぐ散ってしまい、その多情さを示し、あわれを誘う…」 社会学者によると、桜が大和民族に選ばれる理由は、日本人が桜の中に彼ら自身を重ねてみているから―桜はゆったりと咲き、煌びやかで美しいが、桜の花が世を去る時には、一陣の風が吹くと木についた全ての花が次々と散ってしまい、木の下には歓声が沸き起こる―ということです。日本人はこのように次々と花が散るさまを「花の吹雪」と呼びます。愛する花が風に散りゆくのを目にしても、彼らには「紅楼夢」の黛玉が花を埋葬するような感傷はなく、こうした花の吹雪を浴びることを至福の歓びとしています。日本人が愛でているのはまさに桜のこうした「激しく生き、ゆったりと去る」生命の態度なのです。日本人の身になれば、一種の強烈な桜コンプレックスを感じることができ、桜に感嘆し、桜にすすり泣かされるでしょう。
日本では、桜は単なる風景の一つではなく、中日友好の象徴でもあります。その年、孫中山氏を代表とする革命家が日本留学していた時、日本の友人達の無私な援助を得て、同盟会の会員は歌に記しました。「専制政治の一千年は東アジア、等しい権利でこれから欧風を歌う。文章を教えるだけの一滴一滴の血も、流れて一面の桜模様となる。」
桜については、私たちの代表団で湖南省政府に勤める金女史が、感動して話してくれたある1つの真実の物語があります。2000年3月、かつて中国を侵略した齢八十を数える日本人老兵元山俊美氏が、湖南省祁陽県の文明鋪鎮を訪れて懺悔を表し、平和を祈願して桜の苗木を植えました。中国を侵略する軍の一員だった頃、元山俊美氏は湖南省の衡陽などの地区で戦っていました。あの戦争の生存者、そして証人として、彼は歴史の真相を日本の若い世代に教える責任を感じていました。長年、彼は日本軍の細菌戦の証拠を調査することに専念しました。相前後して中国の多くの都市で調査を行ない、日本軍による細菌戦の大量の一次資料を手にしました。1998年5月、彼は息子を連れて文明鋪鎮を訪れ、日本人が当時犯した戦争の罪を息子に教えました。そして、当地に200株の桜の苗を贈り、中日間の永遠の平和と抗日にあたった中国の将兵への追悼にしたいと表明しました。2000年3月12日、自分の80歳の誕生日の前日に、彼は遂にこの宿願を成し遂げたのです。
異国情緒溢れる桜が咲き乱れ中国の大地に美しく花開くとき、私たちが目にすべきものは、花の美しさだけではなく、中日の友好を代表する素晴らしさでもあるのです。
人民中国インターネット版 2008年12月4日