花は愛に支えられて咲く
河北大学外国語学院 劉丹青
迎春花、黄梅、紫荊花、柳の新芽・・・・。競うようにキャンパスにあふれる「春の色」の中に、ひっそりと咲く一本の桜の木がある。
その優美な花をつける桜の木に強い関心を抱くようになったのは、日本人の先生から教えていただいた、次のような美しい内容の文章がきっかけだった。
京都の染織家志村ふくみさんが、言葉では説明できない程美しい桜色に染まった着物を目の前にして、筆者にこう教えてくれたのだ。
「このピンクは、桜の花びらではなく、桜が咲く直前の木の皮を煮詰めて染めたのだ。」と。
“桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらは言わばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものだったのだ。”という筆者の感動が、私の心をも美しく染めていく気がした。
それ以来、桜の頃になると、その木に近付き、「このごつごつした木肌を、今、やさしい桜色の樹液が流れているのだなあ!」と、“自然の神秘”と“日本”を肌で感じていた。
今年の春のある日、その桜の木を私と同じように見上げている女の人を遠くから見かけた。しかし、その時は急ぎの用事があったので、その道は通らなかった。帰りに立ち寄って見ると、木の下の叢に赤い何かが落ちていた。拾い上げて見ると、可愛い財布だった。裏に“天城愛”と書いてある。「あ!きっとさっきの人だ。日本の留学生だったんだ。」と、私は急いで国際交流所まで走った。
受付で呼んでもらうと、幸い彼女は在室していて、怪訝そうに玄関に出てきた。拾った財布を差し出すと、うっすらと涙をにじませ、「谢谢,谢谢」と何度も頭を下げた。私が拾った経緯を日本語で話すと、驚きと嬉しさが入り交じった表情で更に近付き、しっかりと私の手を握り締めた。
この財布事件がきっかけで、二人はどんどん親しくなっていった。付き合ってからしばらくして、彼女はあの時の「涙」のわけを話してくれた。
「あのね、中国に留学するって言ったら、近所の人に『中国は泥棒が多いらしいから、気をつけてね。』と言われたの。でも、あなたは汗ビッショリになり、顔を真っ赤にして、拾った財布を届けてくれた。本当に嬉しかった。」と。
そして彼女の祖父達の長い身の上話をしてくれた。
彼女の祖父の両親は中国で教師をしていた。教え子達を親身になって教えた。中国の教え子達も曽祖父達をしたっていた。しかし、悲惨な戦争が起った。終戦後、祖父達親子は命からから日本に引揚げることになった。
屋根のない汽車に乗って、わずかな食物を三人で分け合い、飢えをしのいだ。あるプラットホームに着いた。すると、人込みの中で、誰かが自分達の名前を呼んだ。見ると、教え子達が人込みを掻き分け、祖父達に近付き、涙声で「先生、お元気でね。」と、二つの重い袋を傍に置いた。出発の合図に、ゆっくり話をする間もなく、また汽車に乗り込んだ。袋を開けてみると、りんごや梨がぎっしり詰まっていて、おいしそうな香りがした。戦後の混乱期、農作物は誰にとっても命をつなぐ貴重な糧だった。「教え子達はどんなに苦労して、これを手にいれてくれたことか。」と親子でボロボロ涙を流した。
教え子達のおかげで、祖父達は無事に帰国できた。しかし、無一文で帰国してからの苦労が原因で、三人とも短命だった。幼かった彼女に、祖父は果物を手にして、「恩返しもできないうちに死ぬのかなあ!」と呟いたという。
祖父達が帰国の際にたった一枚持ち出すことができた写真が形見になってしまった。その写真の三人にも桜を見せていたら、胸いっぱいになり、バックに入れていた財布を落とした事に気付かなかったと言う。
桜も散り、中国の短い春が駆け足で去った五月、四川に大地震が起きた。
それからしばらくして、愛ちゃんからメールが届いた。彼女は四川に居ると言う。日本の大学での専攻が看護学で、その時の先生が救援隊の医師団に居たので、被災者の看護に当たるボランティアを引き受けたのだそうだ。
「劉さん、人間は皆弱いのよ。弱いから、人の愛が必要なの。被災された人々は、心も体も重い傷を受けている。戦争中、困難に遭った祖父達を助けてくれた中国の人々の為に、私は自分の力を尽くしたいの。」と。
その時、間もなく花となって咲き出ようとしている桜の木が、木全体で懸命になって最上の色になろうとしている姿が私の心に浮かんだ。それは今の日中関係と同じことではないか。日中友好に力を尽くし、スポットを浴びている人達は桜の花びらだと言っていい。しかし、それらの花びら達を咲かせている幹や皮がなければ、美しい色は生み出せないだろう。愛ちゃんのように見えない所で日中友好に力を尽くしている大勢の人達がその幹や皮と言える。
キャンパスの桜も、一年毎に幹も太く、花の数も増えている。この中国の大地に、桜はしっかりと根を下ろし、両国民の心を美しく染めていくだろうと私は思っている。
インスピレーション
子供の時から、桜が好きだった。しかし、印象に残っていたのは薄雲のようなピンクの花びらで、黒っぽいゴツゴツした皮や幹についてはぜんぜん気がつかなかった。日本人の佐々木先生に『言葉の力』という文章を教えていただいてから、桜の皮や幹を含めた「桜」、自然の神秘をはじめて実感した。そのことが文章を書いた一つのインスピレーションだと言えるだろう。
大学のキャンパスに一本の桜の木がある。春になると、毎日その木に近づき、皮や幹に触りながら、それらの偉大さを体感している。しかし、自然界に生かされているものすべての本当の偉大さを感じたのは、四川大地震後である。四川大地震で、日本救援隊は本当の日本の精神を中国人に見せ、中国人を感動させた。彼らはみな桜の皮や幹のような平凡な者で、見えない所で日中友好に力を尽くしている大勢の日本人達の代表だと言ってもいいだろう。彼らの深い人間愛を感じ、天の城に住んでいるという天使のことが心に浮かんだ。彼らは天使のような愛を持っている「愛ちゃん」だろう。そう思って、この文章を書き出したのだ。
人民中国インターネット版 2008年12月4日