アニメ好きの娘
遼寧省 王玉蓉
6歳から絵画を学び始めた娘は、ここ2年来、中国画を学んでいる。私の最初のねらいは、娘の美的感受性を養い、大人になってからも趣味として楽しめるようにということだけだった。予想に反して、娘はアニメに夢中になり、何から何まで“宮崎駿マニア”になってしまった。彼女は小遣いを貯めて大量の宮崎駿のアニメ集やレーザーディスクを買い、さらには初級の日本語教材を2冊買って自ら密かに日本語を勉強し始めたのだ。そして、飽きもせず、毎日喜々として宮崎アニメの絵を2枚以上描くことを日課としていた。
去年、娘は小学三年生になった。学習の緊張と進学の精神的な負担を考え、「中学受験が終わるまで、絵描きを中断してみてはどうか。」と提案した。娘は私の提案を聞き入れないばかりか、却って“激しさに拍車をかけた”のだ。一学期の期末試験がもう直ぐという時、夕食を済ませる度、娘は部屋に戻って授業の復習をするのではなく、テレビの前に陣取って宮崎アニメの放映を待っていた。そして、見終わると、友達と電話でやりとりするという始末である。
私が非常に憤慨して「いつまでもテレビやら電話やらにかまけていて、心が痛まないの。」と言うと、娘は全くひるまず「そもそもアニメが分からない人に、宮崎監督のことが分かる訳ないでしょう。」と言い返してきた。私が「日本のアニメのどこがいいのよ。暇があるのなら、中国の『孫悟空』なり『ナタ大暴れ』なりを見て、その後で初めて“いい”と言うべきだわ。」と反論したが、「そんなの、2本ともどうっていうことはないわ。宮崎アニメをご覧なさいよ。どれも面白いから。」と娘は言うのだ。「宮崎駿が分かるとか、アニメが好きだとか言うけど、時期ということを考えなきゃいけないわ。こんなことで重点中学に合格することができるとでも思っているの?」と言うと、娘は全く気にも留めない様子で「みんなが本当に自分から勉強しているとでも思っているの?みんな、親に言われるから勉強しているだけなのよ。課外補習授業の時、みんなは、いつも机の下で宮崎アニメを見ているわ。さっき友達に電話をかけたのも、前もって約束していたから。あの子はテレビ欄で宮崎アニメの時間を探してくれるから、私は、見終わったら、その内容を電話で話すの。あの子のお母さんはテレビを禁止しているから、私が電話してあげると、『私たちは、問題について討論している。』って、あの子はお母さんに言っているわ。お母さんも、そんなふうに騙されたいの?」と言った。
私には返す言葉がなく、「でも、成績は伸ばさないとね。」としか言えなかった。「もし、重点中学に合格したら、節約できた進学費用を自由にさせてあげる。」と言うと、娘は「じゃあ、約束ね。」と飛び上がって喜んだ。多くの同級生の家でも、似たような話になっており、「もし、進学費用が自由にできるようになったら、この夏休みに日本旅行をしよう。」ということで話がついているそうだ。
ある時、私は北島という署名が入った『日本の“良民”を伴って根拠地に入る』という文章を目にした。抗日の根拠地の人々の記憶の中にある日本人に対する憎しみ、この憎しみが、新しい世代の当地の人々の中で薄れてきたことに話が及ぶと、娘は分かりきったように、「それは、親世代やもっと上の世代のことでしょう。誰も、はっきりとは覚えていないわ。」と言った。それから、「恨んでいるだけで、何か役に立つの?お母さん達だって、どうして戦後の日本があれ程急速に発展したのかも見ていないでしょう。」と言った。また、「ある同級生の父親が遠方の省から帰ってきた時、そこにはまだ遅れている地方があり、そこの人々は高級な電化製品など買えないのかもしれないのだが、そこでも、日本の電化製品の広告がないところはどこにもなかった。」という話をしてくれた。「私たちは、なぜ、よその商業文化意識や競争理念を学ばないの?」と娘は言う。
子供の話と、同級生の間でこうした問題が討論されているということを聞いて、青少年だった頃には、私たちも外の世界を理解したいという切望をたくさん持っていたということに気づき始めた。特に、日本という私たちには深刻な宿怨のある国家に対して、子供達はより強烈に理解し、疎通し、学びたいという渇望を持っているのだ。この点に気づいて、私は、娘やその同級生達のことが少し理解することができた。交流があってこそ、理解も認識も友情もあり得る。一歩進み出して初めて平和と発展があるのだ。
人民中国インターネット版 2008年12月4日