日本
―熟知しながら見知らぬ人―
上海市在住 周暁円
「日本」というと、脳裏には沢山の場面が浮かび、内心には違う想いが湧いてくる。日本をどう表現したものか暫し考え、『最も熟知しながら見知らぬ人』という歌の名前を思い付いた。もしかすると、これこそが、心の奥底で日本対して抱いていた印象なのかもしれない。
ごく普通の中国の一学生として、これには深い記憶がある。私たちの日本に対する熟知はと言うと、中国と海を挟んで向かい合っていて、私のいる上海から東京までの直線距離は2,000km足らずで、飛行時間も3時間もかからないということである。地理的な近さと利便性は、文化において頻繁な交流や往来をもたらした。唐代の遣唐使から鑑真和尚が日本へ渡ったという壮挙まで、日本は唐文化圏の一部になっていた。現在でも、日本において濃厚な漢や唐の気風に出会うことができる。こうした文化における相似性は、私たちに心理的な親近感を与えてくれる。日本は熟知した隣人のようなものだ。
しかし、近代以降になると、日本は私たちの視野の中で徐々見知らぬものになっていく。第二次世界大戦の洗礼を受け、侵略や侵略に反抗する闘争の血なまぐさい風雨が深く記憶され、日本の顔は見分けがつかないほど見知らぬものとなってしまった。
こうした熟知と未知の認識のもとで、中日双方の国民の間にも、ただ憎しみと怒り、隔たりと猜疑心だけが残っているかのようだ。私たちは、向こう側の日本人が何を考えているのか分からず、不安に感じてしまう。私たちは、戦争がまた訪れるかどうか知ることができない。
私たちは、このように永遠に対立し続けてある種の力を蓄え、それが爆発するのを待っているのだろうか?それとも自発的に交流の橋を架けて、平和と友好についての情報を伝えていくのだろうか?21世紀の今、情報は日を追って発達し広がっている。私たちが、憎しみに両眼を塞がれるまま憤激して理性を抑えてしまい、偏見と敵視の眼差しで戦後の日本を評価しているとしたら、自分の印象だけで幻の日本を築いてしまうことになる。私たちの認識は必然的に停滞し、思考を自ら束縛し始めてしまう。そうなることは、中日いずれの国にとっても、全く利点がない。その一切を放り出し、公正かつ客観的に日本を観察すれば、密かに気づいているか無意識のうちに無視してきた別の日本を見つけることができるだろう。
私たちは、日本国民の友好的な一面を、日本で多くの民間団体が平和運動に従事していることを、宮崎監督アニメに深く浸透する平和と反戦主義を発見できるだろう…。そして、汶川大地震後に日本の国際救援隊が見せてくれた仕事への集中と熱心さ、特に救援隊員が死者のため厳かに黙祷する場面を見た時、私は確信した。その瞬間、人間性は国境を越え、全ての憎しみは雲散霧消し、感動の表情を見せぬ者はいなかった。その瞬間、私は、本当に救援隊員たちとその背後にいる日本の皆さんに深く感動した。その瞬間、涙がきらめきそうだった。
文化の違いはこの世界を豊かで多彩なものにすると同時に、発見の楽しみや交流への渇望をもたらす。一般の人々同士の交流や往来を絶えず増進していくことだけが、国と国との友情を培い、理解と信頼を深める。胡錦涛主席が言うように、「歴史をしっかりと心に刻むのは、憎しみ続けるためではない」のだ。憎しみの種を蒔くのはたやすいが、憎しみの傷を癒し、民族間の和解を達成させることは、必然的に長い時間を要し、極めて困難な過程となる。こうした憎しみを取り除き、私たちが歴史の悲劇を繰り返さなくなるのは、何時なのだろうか?それは、まさに中日両国の若者が共に直面し、力を合わせてやり遂げねばならない歴史の使命である。
フランスとドイツは二度の世界大戦という陰惨な恩讐を越えることができたし、中国とアメリカも広大な太平洋を跨ぐ友好の握手をすることができた。中国と日本は暗い歴史を通り抜け、共に素晴らしい未来を創ることができないのだろうか?第29回のオリンピックが北京で開催される頃、私たちは歴史の先入観を放り投げ、我が日本の友人たちに向かって真心込めて「北京へようこそ!」と声を掛けることができるよう希望している。
人民中国インターネット版 2008年12月4日