些細なことに投影される民族の精神

雲南省 耿作偉

近現代における日本の躍進の速さは、何につけ目を見張るものがある。総合的な国力は日増しに強大になり、社会環境には秩序がある。これは、日本独特の地理的環境がそうさせたと言うより、むしろ民族の精神が生み出した結果である。

私は日本へ行ったことはないが、幸い国内で訪中の日本人と交流を持ったことはある。日本人が見せる“いちいち言うに値しないこと”に対する表現や反応から、その優れた国民の素質を伺うことができる。また、民族としてのものの考え方もそこに投影されている。

あれは1999年の末のこと、中国視察に訪れた日本人を日本留学の経験者である従兄が接待することになり、私もそれに同行する機会を得た。

顔を合わせると直ぐ、彼ら日本人の笑顔は桜さながらに美しく綻んだ。続いて握手、会釈、お辞儀をしながら「よろしくご指導ください」、「よろしくお願いします」というような中国語を話してきた。

本来こうしたマナーは語るに及ばないが、私はあることに気づいた。彼らはその場にいた接待スタッフの全て、まだ16歳の私も含め、皆に対して同様の礼儀正しい言動をとり、面倒そうな様子は全く見せなかったのだ。

実際、他人から握手を求められたのは、あの時が初めてだった。私は、突然大人になって他人様の尊敬を受け一人前の人間として認められたような感覚に囚われた。この小さな出来事を後で従兄に話すと、それは日本民族が個々の生命を尊重していることの現れであると教えてくれた。日本民族の観念の中では、全ての個体に「命」があり、いずれにも尊重される権利があるというのだ。また、彼によると、日本は満開の桜のように、人と人との間では調和が重んじられ、相互に尊重し、誰もが自分の立ち位置を持っているという。

また、一行が休憩時にお茶を飲んでいた時のこと、接待側の一人が日本で買ったという壊れた日本製の腕時計を取り出し、国内には部品がないので、日本に持ち帰って修理してもらえないかと声をかけた。日本人は快諾したが、修理代金は新品で買うのと同じぐらいだろうとのことであった。一同は笑った。それなら、壊れた時計を捨てて新品を買った方がよほどいい。こうした価値観が日本人には認められないと誰が思っただろうか。「全ての製品には製造者の心血が注ぎこまれており、感情も命もある。壊れたら、修理に出すべきだ。」ということで彼らの考えは一致していたのだ。まるで母親が自分の子供にそうするように―子供が病気になったからといって“捨てる”ことなどできないのだ。彼らは壊れた時計を日本に持ち帰って修理すべきだという主張を変えなかった。

この日本人の話には、とても赤面させられた。そうか、物を自分の子供のように扱うことができのか。どおりで日本製品は長持ちするし、品質問題も少ない訳である。

従兄からは、日本留学中に目にしたという日本民族の生活のあれこれについても色々と聞いた。例えば、日本人は靴を脱いで部屋に上がる時、つま先が屋外を向くように脱いだ靴をきちんと揃える。駐車する時も車を外向けに停める。話によると、彼らがそうする目的は、“積極的な進取”の心がけで、いつでも準備ができていると暗示するためだという。

小さなことから大きなことが、平凡なことから不思議なことが見えてくる。握手してお辞儀するマナーや、一本の腕時計に「命」を与えるといった小さな事からだけでも、日本の文化や民族の心を感知し、知ることができる。文章の断片から意味を拾っているとの批判は避けられないが、一滴の雫が太陽の輝きを投影するように、些細な事柄がその人の素質と包容力を投影することはよくある。“命を尊び、積極的に向上し、睦まじく共存する”といった日本の友達の行為や態度は、彼らの民族全体の態度をある角度から表しているのだ。そして、民族全体の資質がこのような高みに至ると、民族の精神を力にした社会の調和や国の発展は必然のこととなる。

私は未だに日本へ行ったことがない。自ら日本文化の奥底や民族の精神を感知したことがないのだ。しかし、それでも、上記のような些細なことから、身を修めることだけが国を強くできる道だろうと思っている。実際、日本には学ぶに値するところがとても多い。

 

人民中国インターネット版  2008年12月4日

 

 

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