子供たちと一緒に“品評”する日本
新疆ウイグル自治区 趙建軍
地理を十年あまり教えてきた私にとって、中高生の段階で把握されるべき日本地理の知識については、とうに心得ていることだ。私はフリーハンドで黒板へ日本の輪郭を描き、生徒達にプレート名、地形、気候、工業分布などを1つ1つ書き込んでいくよう指導することができる。しかし、このような教育について、内心ではいつも何か物足りなさを感じている。小さい頃から日本のアニメを見て、日本のテレビゲームで遊びながら育ってきた子供にとって、こうした授業は新鮮さや魅力に欠けるのではないだろうか?
今年はちょうど中日平和友好条約締結30周年に当たり、「中日青少年友好交流年」でもある。こうしたことを背景として、今年の3月、私は、従来の中学校地理教材を元に教科書にある知識と課外の素材を整合させ、生徒と一緒に充実感のある日本“品評”を行った。
授業に先立ち、私は生徒と一緒に討論し、日本に関するテーマを設定した。富士山、桜、アニメ、家電、茶道、成人式などである。生徒に自らテーマを選ばせ、パワーポイントを作成する形で“日本の印象”を制作させた。生徒たちの心にある日本と私の頭の中にある日本がどのように共鳴するのか、また違うのかを見てみたいと思った。
他の地域から来ている出稼ぎ労働者の家庭の子供が比較的多いため、パソコンがない家の子もいる。そのため、準備期間中は、毎日、休み時間の10分間、私の事務室のパソコンを常に数名の生徒が囲んでいた。それまでパソコンを使ったことのない子供が、何度も私に質問してきた。関連情報をどう探せばいいのか、データのコピー、貼り付け、パワーポイントの作成はどうしたらいいのか― ついに、パワーポイントの作成に成功し、私の前には子供たちの安堵の笑顔がひろがった。この過程には私も感動した。
生徒達は一人一人教壇に上がった。怖気づく者もいれば、堂々と日本の茶道、桜やアニメに関する自作のパワーポイントを解説する者もあった。教檀の下では、誰もが静かに耳を傾けていたが、時々小声で議論したりもしていた。私の想像を超えていたのは、一年六組の劉佳さんが、パワーポイントをプレゼンテーションする傍ら日本語辞典を引きながら、慣れない日本語で日本の桜を解説したことである。子供たちはこの仲間を拍手で称えた。
私は気軽で楽しい教室の雰囲気に染まっていた。私も矢も盾も堪らず自作のパワーポイントのプレゼンテーションを行った。私は、教材にある“火山が多く、地震の多い島国で、加工貿易と東西の融合した文化が進んでいる”といった内容の順序を壊し、富士山、桜、環境保護、工業分布、成人式、中日友好という6つの独立しつつも関連しあうインタラクティブなテーマを苦心してデザインし、子供達に日本を解説した。
生徒達に日本の輪郭を描かせると、描く過程で日本の海岸線の曲折を彼らに実感させ、日本の港の優れた特徴を“発見”させることができる。私は、富士山の映像を前に、日本には火山が多く地震が多い原因をプレート理論で解読することを、生徒達に試みさせた。私は子供達と熱く討論することにより、日本が海を埋め立てて造成した人工島に驚嘆するとともに、土地が狭く人口密度の高い前提条件下にある日本人が、如何にしてその地に適した方法を取り、長所を利用し短所を克服して、資源小国から経済大国の理想と実践に向かっていったのかを理解するための試みを行った。生徒達が最も面白がっていたのは日本の成人式だった。我が校の生徒が満18歳で行う成人の宣誓のような形式とはかけ離れていたからである。更に一歩進み、自動車で溢れる埠頭の画像の前で、生徒達にロールプレイングをさせた。「もし、あなたが日産自動車の工場のトップだったら、工場の配置場所としてどこを選びますか?それはどうしてですか?」
私が教えているのは結局地理なので、教室では日本の歴史について多くの解説を加えることはなかった。しかし、授業の過程で、私も明治維新、日清戦争、第二次大戦から今の経済大国に至るまでをかい摘んで説明し、「日本経済が飛躍したシナリオは何だったのか?」と子供達に質問した。そして、それは教育であり、国民資質の向上であり、科学技術立国なのだと私は教えた。
現在、私と生徒達はある期待を抱いている。中日文化交流の春風がいくつもの山を越えてこのゴビの採油地に届いたらという期待と、日本の生徒が私たちの地理の授業にやって来て、両民族の生徒と共に歌い踊ることができたらという期待である。
人民中国インターネット版 2008年12月4日