曖昧語と日本

山東大学 王爽爽

 <土曜日、一緒に映画を見に行こうか。><あのう、ちょっとね。>

このような言葉はよく日本人の話に出ます.これは誘われましたが、都合が悪くて行けない,あるいは気が進まなくて行きたくない場合のせぃふです。時には誘われた人がやわらかい語調で<今日はね>と婉曲に断ることもあります。<ちょっと>という言葉であれ、言いたいことが省略されて言葉に出る<今日はね>という言葉であれ、日本語の大きな特徴の一つである曖昧語の現れだと言えます。では、いったい、<曖昧語>とは何でしょうか。

まず,辞書によると、<曖昧>とははっきりしないこと、紛らわしく、確かでないことという意味です。簡単な、そして日常的な言い方で、自分の意思あるいは態度を相手にはっきり見せないということになります。それならば、<曖昧語>とは、自分の本当の気持ちを隠そうとするため、または遠回しに自分の意見を述べるため言う紛らわしい言葉の意味でしょう。<結構>とか、<どうも>とかも曖昧語のひとつです。

昔の日本から今に残った曖昧語は日本で大きな役割を演じています。しかし、今、曖昧語について意見が分かれているようです。特に、一部分の西洋人が不満を抱いています。

どこで読んだのか、もう忘れましたが、<相手は一体何を言いたいのか、さっぱりわからない。はっきり返事すればいいのに。>と文句をつける西洋人がいました。確かに、日本人の答えはときにはわかりにくいです。そして、西欧の先進的、開放的な文明で生まれ育った西洋人ははっきりした返事のほうが好き、あまり曖昧な言葉に慣れていません。彼らの気持ちを理解できないのではありませんが、ただ曖昧だからいけないという理屈が必ずしも成り立たないと思います。なぜかというと、日本において、曖昧語は潤滑油として人間関係を円滑に進めているからです。

たとえば、ある私たちの授業で、日本人の女性教師に<今年、おいくつですか>と質問する男子学生がいました。日本では年齢、特に女性の年齢は秘密なので、これは失礼なことになります。私たちはみんな黙っていて、怒っているかなと心配しました。しかし、先生は笑みながら、<あのうね、ちょっと>と遠回しに答えました。

当時の先生は不快感がもう心に浮かんだかもしれません。ただ相手の顔を立て、両方も不自然な感じをしないですむことができるようにそう言ったのかもしれません。曖昧語はよくこの場合に使われます。

ですから、曖昧語は人間の付き合いをうまく進行させる潤滑油です。ここで、さらに言えば、曖昧語は日本の恥文化および日本人の伝統心理とかかわっています。

古い頃から、恥文化というものが日本で生じました。自分にも相手にも恥を搔かせないという意識なのです。ですから、日本人は何をする時も相手のことを考慮に入れて話します。直接言ったら相手を傷つけるかもしれない。じゃあ、別の言葉で言おうという心理で、日本人の相手に対する心掛けなのです。。曖昧語はここで、意思不明な言葉というより、むしろ美しい言葉なのではないかと思います。なぜなら、日本人の思いやりをよく表しているからです。

このほか、曖昧語は婉曲に自分の意見あるいは論点を発表するときにも使われています。

<日常の思想>という文章は京都市立芸術大学名誉教授、梅原猛先生の作品です。この文章で梅原先生は余暇の問題について論じました。明治百年の日本において追求されていた価値のひとつ、勤勉の重要さを論じるとき、<私は明治百年の日本人の第一の徳は、やはり勤勉ではなかったか>というふうに書きました。ここで、私が言いたいのは<ではなかったか>という表現です。もし、この観点が西洋の文学者が論述するのだったら、<ではなかったか>でなく、<だ>あるいは<です>など断定する表現になることが多いでしょう。しかし、梅原先生はまあ、ほかの人はちがった意見があるかもしれない。私は間違っているかもしれないと思って、他人の考えを尊重したうえで、謙遜に自分の意見を言ったのです。このような表現はよく日本人の文章、または日本人同士の対話に出ます。ここから、伝統文化を持っている日本人の伝統心理を窺うことができます。つまり、ここで曖昧語は日本民族の謙遜の現れとして使われるわけです。

今、国際交流が必要、意思不明な曖昧語はもう要らないという主張がますます強くなっています。しかし、以上述べたように、曖昧語は日本文化の産物で、日本人心理の反映です。さらに言えば、曖昧語は外国人に日本の文化あるいは精神を伝達する方式なのです。曖昧語があるからこそ、私たちは日本人の思いやりが感じられ、本当の日本を理解できるのです。ですから、曖昧語と日本は分けても分けられない、緊密な関係にあります。日本はまだ曖昧語を必要としています

創作のインスピレーション

実は、最初、私は日本の桜が好きなので日本語を勉強する気になったのです。しかし、勉強すればするほど日本語ガ好きになって、特に曖昧語に興味を持つようになりました。曖昧語は日本人のコミュニケーションの手段のみならず、人間の付き合いをうまく進行させる潤滑油として、日本の恥文化をも反映しています。実に意味深長なものですね。ですから、その物をもっと知りたい、そして自分の知っているものをほかの人と分かち合いたくなりました。それなので、<曖昧語と日本>という文章を書きました。しかし、入賞できるとは本当に思いもよりませんでした。ここで、人民中国の皆様に心からお礼を申しあげたいと思います。まことにありがとうございました。

私はこれをきっかけに、もっと頑張って日本語を勉強していこうと思います。

 

人民中国インターネット版 2008年12月4日

 

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