忘れてしまった幸せの味
西安交通大学 張藍天
都市で暮らす私たちは、勉強や仕事などで忙しい毎日を送っている。そんな暮らしでは、いつの間にか幸せの味は忘れてしまうだろう。だが、こんな瞬間はないだろうか。たとえば、お菓子を食べている時、小さい頃、妹とお菓子を取り合ってけんかになったのを思い出して、思わず笑ってしまうこともあるだろう。また、たまたま使った石鹸の匂いで、幼い頃に涙をぬぐってくれた母の暖かい手のひらの香りを思い出して、心が温まることもあるだろう。こうして幸せの味を思い出す瞬間は気づいてみればたくさんあるものだ。私に大切な幸せの味を思い出させてくれたのは、ある映画との出会いであった。
その頃、私は高校3年生で、受験勉強に毎日明け暮れていた。他のことはかまわず、季節まで分らなくなるような日々を過ごしていた。しかし、だんだん元気がなくなったので、ついに家に帰って休養することにした。でも、家にいてもすることがなくて、つまらなかった。父と母はそんな私を見て、とても心配してくれたが、どうしてよいのか全然分らないようだった。そうして悩んでいるうちに、ちょうど私の18歳の誕生日になった。その日、母がおもしろいDVDをプレゼントしてくれた。宮崎駿の「となりのトトロ」だ。
その夜、父と母と三人でその映画を見た。映画のとても明るいトーンと活発なリズムで、目と耳だけでなく、心まで癒された感じがした。久しぶりに心から笑って、涙も湧いて出てしまったほど感動した。
「この映画、藍が生まれた年の作品なのよ」と、映画が始まってすぐに母が言った。それを聞いたためか、とてもやさしく親しい感じがした。まるで、自分の幼い頃の物語を振り返っているようで、私は小さい時、おばあさんの家に住んでいた頃のことを思い出した。青々とした稲田に渡る夏の風、木のトンネルの涼しい日陰、橋の下をちょろちょろと流れる谷川の水の流れ、大きくて一人では抱えられない古い木、木陰の下のまだら模様の日陰、そのなかで楽しく軽快に走っている自分の姿、その一つ一つが目の前に浮かんできた。自然に恵まれた子供の幸せに私は感動した。野原の鮮やかな花を摘んで花束にして、おばあさんへのプレゼントにしたり、小川のおたまじゃくしをつかまえて、家の金魚たちの友達にしたりした小さい頃のことも思い出して、私は暖かい気持ちになった。
「ねえ、お父さんは小さい頃こんなにわんぱくに遊んだ?」と、私は父に向かって尋ねた。私の声は聞こえなかったようで、父は黙って映画を見ていた。その様子からは、父も自分の思いに浸っているようで幸せそうに見えた。そして、「大きくなったら、私の髪もお母さんのようになる?」という五月ちゃんの言葉に、私が思わず微笑んで母の方を見ると、ちょうど母と目が合った。「私も同じことを聞いたよね」と言うと、母は笑って、「何度も聞かれたよ。でも、今はそうは思わないでしょう?」と言った。「そんなことはないよ。今もお母さん似なのが好きなのだから」と、私は幸せそうに笑って答えた。
そして、トトロが傘を嬉しそうにさして笑っている場面を見て、私はこう思った。五月とメイは夜遅くまで父を待ったり、傘をトトロに貸して上げたりした。他人のために何かをしてあげるのは本当に幸せなことだ。それなのに最近は、ずっと心配してくれた両親の気持ちをぜんぜん考えていなかった。そんな自分をとても恥ずかしく思うようになった。「明日から絶対に元気を出して学校に行く」と心の中で決意した。
そして、映画は不思議な夜の場面になった。トトロの魔法で、芽は土から出てたちまちのうちに大きくなって、すごくりっぱな木になった。しかし、翌日の朝、五月たちが目覚めてみると木はなくなっていた。でもよく見ると、芽が実際に出ていたのだ。「夢だけど、夢じゃなかった」と大喜びして叫んだ彼女たちの幸せそうな笑顔を見て、私にも夢がありその夢はいつの間にか私の心からこっそり逃げ去っていたことに気づいた。今の私は毎日頑張っているが、何のために頑張っているか分らなかった。でも小さい頃は、夢がたくさんあった。ばかばかしい夢だけど、ないよりましな夢だ。「絶対にかなわない夢なんかない。努力すれば夢じゃなくなる」と心の中で小さな声をあげた。今からでも遅くないから、また自分の夢を見つけて、それに向かって頑張ろうと思うと、元気が泉のように湧いてきた。
映画は皆の笑顔に包まれて終わった。そしてエンディングの音楽が始まったが、私たちは誰も声をださなかった。父と母もまだ自分の思いに浸っているのだろう。窓の外を見ると、いつの間にか庭の蠟梅がもう咲いていた。冴えた月の光が花びらを薄い銀色に縁取っていた。ほのかな香りが部屋中に漂って胸に染み込んだ。これが幸せの味だと私は思った。
創作のインスピレーション
小さいころから日本の漫画やアニメーションなどが大好きで、日本文化に興味を持ち、たくさんの日本文学作品も読んできました。大学に入って、日本語を勉強しているうちに、日本人の自然を愛し、尊重する心の豊かさに触れて感動しました。それから、曖昧な日本語に含まれている美しさを楽しむようになり、そういった表現に出会うたびに日記に記録しています。
今、都市で暮らす人たちは、勉強や仕事などで忙しくて、いつの間にか本当の幸せの味を忘れてしまっているかもしれません。私は周りの人たちに、忘れていた大切な幸せの味を呼び覚ましてほしいと思って、この作文を書いたのです。これを読んでいただいて、自分の記憶の底に眠っている幸せの味を思い出して、日々の疲れを忘れて、思わず微笑んでくださったならば、一番うれしいことだと思います。
人民中国インターネット版 2008年12月4日