緑の鎮魂歌
中国人民大学 外国語学院 張瑩
私が緑に特別な感情を持ち続けているのにはわけがあります。それは緑が私にとってふるさとの色だったからです。森林資源に恵まれたふるさとは緑あふれた小さな町でした。幼い時に窓から眺めたすばらしい景色が今でも時折目の前に浮かんできます。空のはてまで広がっているような一面の緑でした。
しかし、その大切さを痛感したのは、森林が破壊され、木材が運び出されると知った時でした。今でもふるさとでは自然破壊が恐ろしい勢いで進んでいます。林や森は切り倒され、山は削られてあかはだをさらけ出しています。こんなことではふるさとはどうなってしまうのだろう、と心配でたまりません。しかし、その一方、利益のために貴重な自然環境を犠牲にすることさえ惜しまないが、その大切な木材資源を大切に使いませんでした。ふるさとの森がそのよい例です。上質な木材だったのに、割り箸やようじなどに使われ、使い捨てされているとは考えただけでも情けないではありませんか。
伐採や輸出を完全にやめることは、経済があまり発達していない今のふるさとにとっては不可能なことだとは分かっています。森林から木材を切り出すことがふるさとの経済発展を促進したのは確かですが、私たちが失ったものも数え切れないほど多いのです。強い風を和らげてくれ、自動車の排気ガスや各種の騒音を吸収してくれ、私たちをやさしく包んでくれたこの緑の森は私たちの目の前から消えていっています。
大好きだったこの緑の森がどんどん消えているのを見ても、何をしてよいのかがわかりません。私にとってかけがえのないこの緑を守ろうとしてもなかなか効果的な方法が見つかりませんでした。
そのとき先輩からもらった一枚の写真はあらためて私に力を与えてくれました。先輩の内モンゴル砂漠ツアーのときの写真でした。写真の中の先輩はトンボ取りをして、オアシスツアーを満喫できたように見えるが、先輩の笑顔よりその周りに飛び舞うトンボたちの姿こそ、しっかりと私の脳裏に焼きついています。かつて不毛の地で、砂だけの丘だったが、トンボが飛び交えるような緑豊かなオアシスになったのは、なんだか不思議だったのです。先輩の観光目的地だった恩格貝を前から知った私は、ふたたびその伝説に魅力されました。
恩格貝の伝説は遠山正瑛という一人の日本人の夢から作り出されたと言われています。中学生だった頃、雑誌『読者』で見たことがあるような気がするとしか言えない遠山正瑛への印象は、その写真のおかげで、深刻かつ鮮明になってきました。農学博士だった遠山先生はかつて中国八大砂漠の一つであるクブチ砂漠の恩格貝で、14年わたって植林し、砂漠の緑化を続けました。14年といえば、人間の長い歴史の中ではほんの一瞬としか言えない短い瞬間だが、人生の中ではどうなのでしょう。人生の中ではいったいどのくらいの14年があるでしょうか。「あせらず、あわてず、あきらめず」という遠山先生の言葉を見ると、砂漠の緑化一筋で、内モンゴルに身心をささげた遠山先生の姿が3倍増しに輝いているような気がします。
遠山先生のことを通じて、環境保護にはまったく国境がないことがわかりました。環境問題は中国一国にもかかわらず、世界どの国にもある共通の問題であるが故に、より多くの人々にも協力してもらえるように一言を言いたいです。「自分の環境だけを守るのではなく、ほかの国の環境にももっと関心を持ってほしい」「資源をもっと大切に使ってください、同じ一つ地球で生活しているから」。だからこそ、どの国の人でもみんなが同じ目標を持ち、みんなで「私たちの環境」を守るべきではないでしょうか。
創作のインスピレーション
雑誌『読者』で読み知った遠山正瑛先生の「植樹伝説」や、砂漠緑化に人生をかけた尊い姿に感動を覚えた。
人民中国インターネット版 2008年12月4日