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棚橋篁峰
中国茶文化国際検定協会会長、日中友好漢詩協会理事長、中国西北大学名誉教授。中国茶の国際検定と普及、日中交流に精力的な活動を続ける。 | 陝西省扶風県法門寺の護国真身塔調査(1987年4月3日開始)によって出土した唐代宮廷茶器によって、唐代茶道の存在が明確になりました。私は、このチャンスに陸羽の茶道の復元に取り組みました。陸羽(733~804年)の茶道は『茶経』(780年)に「行い優れつつましやかな徳のある人に最適である」と書かれているので皇帝のお茶とは思えないのですが、陸羽が皇帝にお茶を教えたという記録もあるので、基本的な考え方は同じだと思われるからです。
世界の茶道を愛好する人にとって、陸羽が著した『茶経』は、唐代中国において完成された茶道の最も重要な聖典で、その影響は今日まで続いています。特に日本においては、茶道文化の基本概念として理解されてきました。ですから、今日の茶道を理解する上でももっとも必要な研究であると考えられます。
陸羽と唐代茶道は、『茶経』と一部の詩文のみに存在し、「文献は存在しているが、その方法はわからない」という状態でした。茶道実践は、今日まで長い間消滅していたために、その内容が確認されませんでした。文献学上の『茶経』研究は多く見られるのですが、それは陸羽の茶道を実証するものではありません。
私は、1987年以来、陸羽の茶道実践の研究と実験を繰り返し、中国国際茶文化研究会、法門寺博物館などとも意見交換をして、陸羽の茶道を復元することに成功しました。本欄で、茶葉の復元と飲み方の2回に分けて紹介しましょう。
茶葉の復元
唐代茶葉の復元は、『茶経・三之造』に従って行いました。「だいたい、茶摘みは(旧暦)2月、3月、4月の間にする。筍のような芽を出したものは、風化した土壌の肥沃な土に生え、長さは4、5寸で、……朝露を凌して摘む」。本来ならば、浙江省湖州市の「顧渚紫笋茶」でやりたかったのですが、京都の福寿園CHA研究センターの協力を得て、緑茶「やえほ」「てらかわ」などを使いました。
製茶手順は、「三之造」を参考に以下のように行いました。
❶茶摘みは、三年間行ったので、時期は一定ではありません。新暦の5月から7月の間に、一芯一葉と一芯二葉の若い芽を摘みました。
❷茶葉の香りを引き出すため、10時間以上、竹編みの籠の上に広げます。復元では半日程度でした。
❸蒸し器に入れて、二分ほど沸騰したお湯の水蒸気で蒸します。この結果、茶葉の変色を防ぎ、鮮度を保つことができました。一分では浅く、三分以上では変色が始まってしまいます。
❹すり鉢で搗き葉を砕く作業は、葉の葉脈や茎が粉砕されるまで行います。しかし、搗きすぎてはいけません。復元では、搗くだけで完成させたものと、更に鉢で擂ったものを作りました。
❺直径8センチと6センチの円形の金具を用いて形を整えました。毛文錫が著した『茶譜』(935年)によれば、「渠江薄片、1斤80枚」と書かれています。唐代の1斤は661グラム相当であるので1枚は、8.26グラムとなります。復元でも同程度の重さのものを作りました。復元では乾燥機を使うので、餅茶には特に穴を開けることはしませんでした。
❻形がくずれないように金具から注意して取り出します。
❼最初の乾燥温度は100度前後で15分程度。黒みを帯びた濃い緑色に変化します。
❽最終乾燥温度は60度前後で一日以上。完全に乾燥するまで行います。完全密封して保存します。低温貯蔵すると長期保存ができます。
このようにして唐代茶葉ができあがりました。これまでなかなか復元できなかったのは、『茶経』の記述が今日のレシピのように詳細に書かれていなかったからです。『茶経』でも「茶葉のできあがりの善し悪しは口伝による」と書かれています。できあがった茶葉は、茶の香りも素晴らしく、とても1200年以上も前に飲まれていたとは思えないほどでした。(0811)
人民中国インターネット版 2009年1月
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