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1984年静岡県うまれ。現在、日本国費留学生として、北京大学国際関係学院に在籍。学業の傍ら、中国のメディアで、コラムニスト、コメンテーターを務める。『七日談~民間からの日中対話録』(共著、新華出版社) | 私は今、中国の連続テレビドラマ『滴泪痣』(日本語版仮称『泣きぼくろ』)の撮影のため、日本に来ている。李という中国の男性主人公が日本に留学し、中国人のボタンという女性不法滞在者と出会う。涙が流れる目の下の同じ位置にホクロがある人同士は「絶対にうまくいかない」とボタンが言い、李はボタンを愛してしまう。
二人は怒濤のような異国での生活を繰り広げる。ヤクザに追われる日々、母を捜し続ける眼差し、利害を超えた理由なき愛、生きるという勇気、叶わぬ想い、切ない運命。日本を舞台にしたラブストーリー。私は助監督兼役者という立場で、唯一の日本人スタッフとして動いている。来年の放送が楽しみだが、中国人の中にすっぽり浸かって仕事をする過程で、いろいろ考えることも出てくる。
ロケは北京で一カ月、日本で1カ月なのだが、20話、つまり20時間の作品を2カ月で撮る。9月下旬から11月下旬の間は、まさにノンストップ。体力の限界に挑戦するプロセスは、高校の駅伝部時代を想起させ、心地よい。
私はこれまで、さまざまな「日中合作」のイベントやプロジェクトにかかわってきた。文化交流、ファッションショー、ビジネス交渉、シンポジウム、同時通訳、フォーラム主催、学生イベント……。その過程で、日本人と中国人がともに何かを創りあげるうえで、何が必要か、どう工夫するか、どこまでは主張して、どこからは妥協するか、バランスを如何に取るか、お互いの面子をどう立てるか、「ウイン・ウイン」の形で終わらせるにはどうすべきか、限界はどこにあるか、感じ、考え、悩み、自分の中で答えを探し続けてきたつもりではある。
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日本ロケ現場で打合せをする筆者(左端) | 日中合作という意味では、今回もこれまでと何ら変わるところはないし、自分の役割も理解できる。ただ、ドラマのロケ現場は私にとって「未知の世界」。しかも、助監督という立場なので、プロデューサーサイドのコーディネートもするし、通訳もすることになる。役者さんの演技や台詞、コンディション作り、ロケ地の確認、監督のサポート……。
日本でロケをするうえで、現地のコーディネートを担当する人たちがいる。彼らの存在なくして、我々の仕事は存在し得ない。きちっとしたコミュニケーションがあって、ロケは円滑かつ有意義に進む。私は彼らと中国側の橋渡しをする役割を担う。言葉の問題だけではない。思考回路、仕事のスタイル、価値観、判断基準、求める水準など、挙げればきりがない。
今回とくに苦労したのは、日本側は計画的に、順序立って物事を進めたがるのに対して、中国側は行き当たりばったりで進めようとする「習慣の違い」である。日本では主に屋外のシーンを集中的に撮っているのだが、たとえば、公共の道路であれば、撮影の事情を具体的に、詳細に市役所に申請して、許可を得る必要がある。許可が下りるにはそれなりに時間もかかる。私有地を使うにしても、最低限、その土地を所有する人と交渉する必要がある。
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『泣きぼくろ』の主演の二人。「李」役の郭家銘と「ボタン」役の黄聖依 | しかし中国側は「さまざまな理由」で計画を随時「出せない」。というよりは「出さない」。「さまざまな理由」で撮影の順序やスタイルに変化が生じることが多いからだ。どこでどのように撮るか分からないから、日本側は許可を申請できないし、私有地の管理人と交渉もできない。中国側は行き当たりばったりで向かった場所で、許可が取れていないから撮影できない。そして日中はお互いに衝突する。文句を言い合う。
ロケ現場だけでなく、これは「日中合作」にとって普遍的な矛盾である。言ってみれば、中国人の「柔軟性」と日本人の「計画性」か。前者にはルールが欠け、後者には秩序がある。前者は調整能力に長け、後者はトラブルに弱い。メリット・デメリットは双方に存在する。これを「良し悪し」で判断してしまっては、悲観的にならざるを得ないし、未来は暗くなってしまう。
やはり、いかにこの矛盾を「上手に処理」するかという視点で模索したい。今回のロケ現場では、「加藤さん、この現場は絶対に六時までに終わらせてください。さもないと先方との信頼関係が傷ついてしまう」(日本側)、「加藤さん、ここは絶対に撮りたい、大事なシーンなんだ。今日撮らないと、経費も余分にかかってしまう」(中国側)。こんなやり取りは無数にある。
そのたびに私は頭を抱える。双方の言い分は分かるし、お互いが納得できるよう処理したい。でも現実的に限界もある。「良いドラマを撮りたい」が共通の願いであることは疑いない。ただ、それを実現するうえで、協調し、バランスを取らなければならない難しさがある。「日中合作」とはなんとエキサイティングで、複雑なものか。そう想う日々である。(加藤 嘉一=文)(0812)
人民中国インターネット版 2009年1月14日
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