監督 馮小剛(フォン・シャオガン)
2007年 中国 124分
2009年新春日本公開
あらすじ
1948年。人民解放軍の連隊長の谷子地は47人の部下と共に高台の塹壕を死守する任務を帯びる。ラッパが鳴ったら退却してよいとの師団長の命令だったが、圧倒的な数の敵の前に若い兵士たちは次々と命を落としていく。勇敢な小隊長の焦大鵬が、いまわの際にラッパの音を聞いたと言って死んでいくが、谷子地の耳にはラッパは聞こえなかった。結局、連隊は連隊長以外の全員が戦死、谷子地自身も重傷を負う。やがて彼が意識を取り戻した時には、すでに連隊は改編され、所属した師団も存在せず、砲兵隊に編入されることになる。
時が流れ、朝鮮の戦争で谷子地は地雷を踏んだ砲兵隊長を命がけで助けたことで、固い絆で結ばれる。除隊後、部下たちを失った戦地跡へ赴くと、部下たちが前線から逃亡した失踪者扱いとなっていることを知る。やがて、師団長の墓の前でラッパ手と再会し、味方の大勢を救うため、師団長がわざと連隊に退却を命じるラッパを吹かさせず、連隊を犠牲にしたことを知り、激しく憤る。
部下たちの死を無駄にするわけにはいかないという思いに駆られた谷子地は、今は炭鉱となっている塹壕跡を一人で掘り返し、部下たちの骨を捜し続ける。ついに、砲兵隊長らの尽力もあり、連隊の名誉は回復。烈士の石碑が建てられたのは兵士たちが亡くなってから8年後のことだった。
解説
アメリカ映画『プライベート・ライアン』や韓国映画『ブラザーフッド』を髣髴とさせる冒頭の凄まじい戦闘シーンで一気に物語へと引き込まれる。実は映画の後半は連隊長の孤独な戦いと執念が描かれ、かなり淡々としているのだが、飽きさせずに最後まで見せる手腕はさすがは中国娯楽映画の旗手、馮小剛である。
日本の戦後の反戦教育を受けて育った私には、はっきり言って、失踪だろうと烈士だろうと、戦争で命を落とすのは犬死じゃないかという思いが強いが、前線で亡くなっていった若者たちはほとんどが無名の貧しい青年たちで、親からちゃんと名前を与えられた彼らを無名のまま死なせていいのかという思いが強かったという監督の話を聞いて、庶民に対する強いシンパシーが、どんなジャンルの作品を撮ろうとも、この監督の持ち味なのだなあと感じた。映画界の名門である北京電影学院も、まして大学も出ていない自分は、中国の映画の殿堂入りをはなから許されなかった。仕方なく、殿堂の脇に掘っ立て小屋を建てたのだが、時が過ぎ、気がついたら殿堂の中には何人も人が残っておらず、掘っ立て小屋は高層ビルになっていたんだ、という馮監督の中国映画界の喩え話が諷刺がきいていておかしい。
その馮監督が一番衝撃を受けた批判は、姜文から「映画は酒だ。君の映画は酒じゃない。水滴のしたたる新鮮な果実で作った美味なジュースだが、熟成されてワインになるには至っていない」と言われたことだという。俺の映画はウオッカだと言った姜文らしい批判であるが、なかなか含蓄深い面白い話である。
見どころ
冒頭の戦闘シーンは『ブラザーフッド』を撮った韓国の技術スタッフとの提携によるもの。これだけの予算でこれだけ迫力ある戦闘シーンが撮れたことで、アジア人の力を結集すれば、ハリウッド恐るるに足らず、との自信を持ったと言う。スターを使わなかったのでヒットしないだろうと言われたそうだが、どうしてどうして魅力的な男優揃いで、声優出身の張涵宇を始め、極寒だったという過酷な撮影条件の中で頑張りぬいた兵士役の若い男優たちに拍手したい。
シリアスな場面がほとんどながら、そこは馮小剛で、特に戦場でアメリカ兵をコケにするシーンはお正月映画のヒットメーカーとしての面目躍如たるものがある。台詞もいかにも中国人らしい生活感のあるものが多く、採録した国民党軍に投降を勧める場面のような、思わずニヤリとさせられる台詞が多い。これまでの中国の戦争映画は英雄精神を讃える定式通りの物ばかりで、いかにもな臭い台詞ばかりだったので、こういうリアルな戦争映画が中国国内で大ヒットしたのも当然と言えば当然かもしれない。
『イノセントワールド』『女帝』と路線の違う3作品を撮り、コメディ以外にも非凡な才能を見せつけた監督だが、中国人が求めているのは、やはり「馮氏電影」、つまり葛優主演のお正月コメディである。その最新作は北海道でロケをした『非誠勿擾』。日本で公開されるかどうか分からないので、私は今年もお正月は北京に「馮氏電影」を見に行く。(水野衛子=文 山本孝子=イラスト)
人民中国インターネット版 2009年2月27日
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