苦の果てに楽が来た
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60年前、北京市民の多くは四合院に住んでいたが、いまも残っている四合院は多くない |
10年間続いた「文化大革命」の大災害が終わった後、中国は「改革・開放」の新時代を迎えた。改革の初期のころは、国家の経済も厳しい状況にあったが、政府は人々の生活を重視し、住宅不足を解決するために、住宅建設への資金を大幅に増やした。会社や機関もさまざまな手を打って、従業員のために住宅を建てた。
1980年1月、筆者はようやく、10年間住んでいたあの小さな部屋に別れを告げ、自家用のトイレや台所などがついている「単元房」という住宅を分配された。広さは30平米で、それほど大きくないが、2つの寝室と台所、トイレ、バルコニーがあった。住宅の入り口は別々なので、生活は便利で静かになった。そこで、ソファーやテーブル、勉強机、本棚、それにテレビと冷蔵庫を買い入れた。家具の配置を済ませると、昔の3世帯同居の苦しみが終わり、家がある幸せを噛みしめた。
1990年春、筆者はまた引っ越した。広くはないが、寝室は客間、ダイニング、書斎兼用で、2人の子どもはそれぞれ自分の寝室兼勉強部屋をもらったので、前のように勉強机を奪い合う必要がなくなった。うれしいことに、2人は相次いで大学に入学できた。
竹竿巷の四合院に住んでいた魯の住いの状況も次第に改善された。1982年に結婚したとき、教師をしていた妻が学校から一軒の平屋建ての家屋を分配してもらった。もともと台所として使われていたこの小さな12平米の部屋は、手を伸ばせば天井にとどくほどで、窓がなく、風通しが悪いため、夏になると室内は蒸し風呂のようになった。だから街頭へ出て暑さを避けなければならなかった。
さまざまな曲折を経て1990年、魯は勤め先の雑誌社から2LDKの住宅を分配された。客間は大きく、魯は満足した。
統計によると、1990年全国市民の一人当たりの住宅面積は13.7平米で、1978年の6.7平米と比べると、明らかに増加した。
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