豊かになりたかったらまず道路を造ろう
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1954年12月25日、四川−チベット道路と青海−チベット道路が開通し、チベットの人々を喜ばせた。四川省雅安市とチベット自治区ラサ市を結ぶ四川−チベット道路は全長2255キロ、標高は平均3000メートルを超える。青海省西寧市からラサ市までの青海−チベット道路は全長2100キロ、標高は平均4500メートルに達する(新華社) |
新中国の成立した後、あらゆるすたれた産業を復興する必要に迫られたが、政府はまず交通事業を重視し、限られた財力から重要鉄道、自動車道路の建設に資金を投入して荷物を担いだり背負ったりする状況を変えた。特に中国人民解放軍の道路建設部隊の兵士たちは、困難と危険を恐れず、「世界の屋根」と呼ばれる青海・チベット高原に、青海-チベット道路、四川-チベット道路、雲南-チベット道路を築き、昔ヤクやキャラバンでしか輸送できなかった歴史に終止符を打ち、チベット自治区の経済発展、社会進歩と生活改善の基礎を固めた。チベットの人々は風雪厳しい高原に造られたこの3本の道路を「幸福をもたらすカラーテープ」と呼んでいる。
ところが、経済的基盤が弱いほか、特に10年にわたる「文革(文化大革命)」の危害も重なったため、中国の交通事業はまだ後れている。
「豊かになりたかったら、まず道路を造ろう」これは1978年「改革・開放」以来広く叫ばれた言葉だ。交通運輸の改善を通じ、経済発展を推進し、収入を引き上げたいと願う国民からの切実な声を表している。経済発展と国民の要望に応えて、中央から各省、市、県の政府、ひいては村の行政まで、全国民を動員し、国家の投資と、地方の資金調達と、社会や海外からの融資によって、国道、省道、県道、村道といわれる各レベルの自動車道路を建設し始めた。路面の広さや等級は異なるが、これらの道路は北京と全国の中小都市から町や村までを結び、四方八方に通じる交通ネットをつくった。統計によると、1978年に道路の総距離は89万キロだったが、2007年末には358万3700キロに激増したという。
1989年9月、筆者は重病の父を見舞いに帰省した。昔3昼夜かかった苦しい旅の記憶のため、広州に着いてすぐ従兄に翌日のチケットを買ってもらおうとした。「急がなくても大丈夫。とりあえずうちに来て休んでから、夜行バスで帰ればいい。スピードも速いし乗り心地もよい」と従兄が言う。夕方、バスに乗り、椅子で一眠りして、翌朝、目覚めてみると、県城に到着。そこからバスに乗り換え、20分で家に着いたのである。3日の道程が一夜にして着くという、この激変は忘れられない。
ちなみに、筆者の乗った豪華な夜行バスはある民間会社が経営し、運賃は少し高いが、速くて快適で、貴重な時間を短縮できる。実は、「改革・開放」以来、政府の経営する運送会社のほか、集団や個人にも運送会社を営むことが許されている。国・集団・民間経営の運送会社間の競争でサービスが向上し、また交通運輸産業の発展も促進する。
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