高速時代の高速道路
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北京首都国際空港の第3ターミナルビルは南北2900メートル、幅790メートル、高さ45メートルで、ターミナルビルとしては世界最大 |
春節あるいはメーデー、国慶節のたびに、深圳や珠海、佛山、恵州で働く甥たちはマイカーで両親と子どもを連れ、90歳を超えた祖母を見舞いに帰省し、子ども時代に故郷で過ごした楽しい思い出に耽る。今では、蕉嶺県に高速道路も通り、車で5時間で家に着くという。3年前、村民一人一人から300元のお金を集め、100年の歴史をもつ客家の伝統的な家屋「囲屋」の前まで200メートルのセメント道路をつくった。
高速時代にはより多くの高速道路が求められる。中国の経済が長期にわたって持続的な高度経済成長を維持すれば、交通物流の分野も増大する。
それは同時に、毎年農村から都市に流入する1億4000万人の出稼ぎ労働者、2000万人余りの大学生の帰省ラッシュをもたらす。また、連休、春節、国慶節などのゴールデンウィークに伴う観光ブームが交通に巨大な圧力を加える。今年の春節の期間に、帰省する農民工、大学生と旅人は延べ23億2000万人に達し、列車のチケットの入手困難といった現象がさらにひどくなる。それに対し、政府は道路、空港、埠頭を増築するほか、高速道路と鉄道の建設を速める。
高速道路といえば、「改革・開放」以前は、ほとんどの道路の路面が悪かった。しかも、車の性能が劣り、いつも積載オーバーで、スピードも遅い。1988年10月、上海から嘉定までの全長18.5キロの、中国初の高速道路、滬嘉高速道路が開通した。この先進的な施設と管理システムを擁する高速道路は大変な反響をもたらした。それ以降中国各地に数多くの高速道路が次々と現れた。1999年10月、中国の高速道路は1万キロを超え、世界第4位になった。2001年末には1万9000キロ、2008年末には6万300キロに延び、世界第2位である。目下、中国の東、西、南、北をつなぐ「五縦七横」という国道主幹線が人流・物流の主動脈となっている。瀋陽から北京まで車で6時間、そして北京から上海までも10時間ちょっとで行ける。
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江蘇省連雲港は2008年、貨物取扱量が1億トンを突破、標準コンテナ300万箱の取り扱いを達成した | また、列車のスピードアップ、高速鉄道の建設も高速道路を追い越す勢いで発展しつつある。『中長期鉄道網計画』が2004年から施行されて以降、一連の高速鉄道、客運専用線、石炭運送専用線、都市間鉄道が相次いで着工した。今、GRHの高速列車の時速も150キロから200、250キロにスピードアップした。そして北京と天津をつなぐ高速列車が350キロの時速に達し、建設中の京滬高速鉄道も北京と上海を4時間で結ぶ。
2006年7月に開通した青海-チベット鉄道は、中国鉄道史における輝かしい壮挙ともいえるだろう。青海・チベット高原で鉄道を建設するために、中国の鉄道建設者たちは数十年奮闘した。今、全長1956キロのこの高原鉄道のおかげで、チベットの人々は幸せになり、チベットを訪ねる国内外の観光客も便利になっている。
グローバリゼーションと頻繁な対外交流は航空と海運の発展をもたらした。
中国民用航空航路の総距離は1978年の14万9000キロから、現在の234万3000キロに延びた。148の民用空港。その中、北京首都国際空港は1978年、1時間に二機の飛行機しか離着陸できなかったが、今は1時間に124機の飛行機が離着陸できる。
河川運輸としての長江水道は毎年の貨物輸送量が11億トン以上に達し、ミシシッピ川の2倍、そしてライン川の3倍である。
1万1404の海運バースの中で、1万トンバースが967を占める。中国の港湾貨物取扱量と国際コンテナ貨物取扱量は一躍世界一になった。
人民中国インターネット版 2009年4月28日
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