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春節期間中の1月30日、湖北省武漢市の武昌駅前広場につめかけ、列車を待つ人々(新華社) |
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1984年静岡県うまれ。現在、日本国費留学生として、北京大学国際関係学院に在籍。学業の傍ら、中国のメディアで、コラムニスト、コメンテーターを務める。『七日談~民間からの日中対話録』(共著、新華出版社) | 中国人にとっての夢だった北京五輪が終わってはや半年。世界的な金融危機の下で、内需の拡大、就業の確保、経済成長モデルの転換、環境保護、国内総生産(GDP)成長率8%を確保する「保8」など、解決すべき課題は尽きない。が、北京の町並みは、五輪前に比べて、「とりあえずの落ち着き」を呈しているのではないか、というのが私の実感である。
中国は今年、建国60周年を迎える。この「節目の年」は、五輪を開催し、成功させた昨年同様、あるいはそれ以上に重要な年になる。どのようにウォッチしていこうかと考えていた矢先、私を「とりこ」にするには十分すぎるインパクトのある現象に気づいた。
「回家」である。この言葉は普段は「帰宅」を指し、誰もがよく使う。しかし、「春節」(旧正月)になると、それは特別な意味合いを持つようになる。
「春運」という言葉をご存知だろうか。小学館の『中日辞典』によれば、「春節の帰省混雑期の特別輸送(期間)」とある。日本人がお盆や正月に里帰りする「帰省ラッシュ」のようなものだろう。この「春運」に中国人が、いかなる状況でも絶対に追求する、年に一度の大目標、それが「回家」なのである。
北京に来てもうすぐ6年。「春節」は毎年、中国国内で過ごしてきたこともあり、中国人にとって「春節」が何を意味するのか、「回家」が何を物語るのか、私もそれなりに理解していたつもりだった。ただ、正直、今回ほど、それに対して衝撃を受け、考えさせられた年はなかった。2009年の「春運」は延べ23億2000万人に達し、昨年に比べ3.5%増えた。
「23億」。これは延べ人数ではあるが、世界人口の3分の1以上に当たり、まさに「民族大移動」と言える。中国の人口が13億だから、だいたい10人中9人が所在地と故郷を往復している計算になる。1年に一度の正月に帰省するのは当たり前だという見方もできるが、中国の国情、昨今の金融危機、不景気に照らし合わせて考えてみると、この数字の背景で、国家と人民の間で、どれだけの「葛藤」が展開されていたか、想像に難くない。
毎年のことではあるが、「春運」で人々がまず頭を抱える問題は帰省用の切符を入手することである。帰省の交通手段として飛行機、鉄道、バスが挙げられるが、飛行機はこの時期、格安航空券が販売されないので、多くの国民にとっては値段が高すぎる。バスは主に近距離用だ。結局、大部分の人は鉄道を利用することになり、切符の入手が必然的に困難になる。供給が需要に追いついていない現実は、この期間の切符売り場のとんでもない混み具合から一目瞭然だ。
頭を抱えるという意味では、政府当局も同じだ。この民族大移動をどう処理するかは、至難の業である。春節前、胡錦濤国家主席が自ら鉄道部長(大臣)に電話をかけ、春運対策を指示したと言われる。各関係部署も春運期間は緊張状態にあり、如何にして国民の帰省ラッシュをスムーズに、円満に進行させるかという問題に全力を挙げる。
とくに今年は、都市に出稼ぎに来ている「農民工」1億3000万人のうち、2000万人が失業し、故郷に帰らざるを得なかった。2009年の大学卒業生650万人のうち、約150万人が職に就けない見込みという。こうした数字やデータは、政府当局の統計で明らかになっている。この特殊な状況下で、「春運」をいかにコントロールするか、困難を極めたことだろう。
私はこれまで「中国人はなぜ、そこまでして帰省するのか」という疑問を拭うことができなかった。ヒトは多いし、切符は買えないし、治安は悪くなるし、疲れるし、いいことなんてないじゃないか、と。
でも今回、社会全体としてこれだけ深刻な状況に遭遇しても、切符を手に入れることに労を惜しまない、子どもの手を絶対離さない、家にたどり着くまで決してあきらめない、こんな中国人の「素顔」を目にして、何か分かった気がする。それは、社会の変化やグローバル化の荒波がどんなに厳しいものであっても、中国人の「回家」は一種の「執念」のようなもので、変わることがないのだと。(文=加藤嘉一)
人民中国インターネット版 2009年4月28日
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