中国経済発展への展望 ――中国崛起の十段階 中国政法大学教授 楊帆 中国は歴史的に見て、経済と文化の大国、自由貿易センターでありました。1820年の経済総量は世界第1位で、全世界の30%を占めていました。1840年のアヘン戦争後、1840年から1905年の間に、745もの不平等条約を結び、関税は5%以下にするよう迫られました。1948年には、経済総量は全世界の5%まで低下しました。現在は15%前後であり、購買力平価で計算すると20%となっています。 アメリカは、長期にわたって貿易保護主義の立場を採ってきました。関税は40%以上で、経済総量は1946年にはそれまでの1.8%から50%まで上昇しました。現在は30%となっています。 中国崛起の十段階 私は、中国が崛起する(頭角を現してくる)第1段階を、戦争による勝利をもって定義します。 1945年の抗日戦争(日中戦争)以降、朝鮮戦争、中印(中国・インド)国境紛争、対越自衛反撃戦(中越戦争)、珍宝島(ダマンスキー島)事件、第2次対越自衛反撃戦(第二次中越戦争)、台湾艦隊との「8.26海戦」の七つの戦争がありました。 第2段階は国家の統一と強大化とします。 1949年:中華人民共和国が成立し、今年で建国60周年を迎えます。 1971年:毛沢東主席とニクソン大統領が会談しました。その後、日本との国交が回復されました。私は若いころに、田中角栄元首相の『日本列島改造論』を読んだことがあります。昨年、2度ほど日本へ行く機会がありましたが、その際にたいへんすばらしい現状を目にいたしました。田中元首相の予言はすでに実現したといえるでしょう。 1979年:中華人民共和国として、国連に正式に加盟。 1997年:香港復帰。続いてマカオ復帰。 第3段階は人口の膨張とします。 中国経済の70年にわたる高度成長と人口との関連について 1840年には、中国の人口は4億人でした。1949年までの109年の間に、人口は4億5千万人となりました。ほとんど増加は見られず、このころの平均寿命は36歳でした。 新中国成立以後、社会は安定し、社会主義による民生政策が行われ、人口も急速に増加しました。1976年に毛沢東主席が逝去するまでに、人口は8億5千万人に達しました。現在は、12億5千万人となっています。2019年には16億人に達すると見られています。 経済は毎年10%成長し、7年間で100%の伸び率となっています。2006年までに、1949年の128倍となっています。 仮にアメリカの経済成長率を1%と、1対6の為替レートに基づきますと、2020年には中国経済総量はアメリカの80%にあたります。1対5としますと、さらにアメリカに近づくことになります。 2013年までに、40兆元に達する見込みです。その後、成長率は7%まで下がりますが、2020年には65兆元に達する見込みです。人民元は長期的に見ると価値が上がり、1ドルは6元で計算すると10兆5千億ドルとなります。 およそアメリカの80%以上となります。人民元がアメリカドルに対して、為替レートが1対5まで上昇すれば、中国のGDPは11兆3千億ドルとなり、アメリカに追いつくことになります。 購買力平価(PPP)で算出すれば、中国の国力はさらに3分の1高い数値となります。中国のGDPは偽りの数値ではなく、第3次産業の見込みが不十分であるため、国際統計にのっとって第3次産業を加えると、中国のGDPは若干高くなります。経済成長率8~10%の保持は、難しくありません。もしアメリカが0(ゼロ)成長ならば、中国は7年後、経済総量は2倍となり、アメリカは成長がないため、中国はアメリカに追いつくことができます。 これは70年間続いた高度成長により、GDPが250倍に増加、人口が4倍に増加したということで、両者の成長は完全に関連性を持つものであると言えます。 中国の70年間にわたる経済の高度成長を決定づけたのは、制度や市場経済によるものではなく、人口の増加が第1に挙げられます。人口の急速な増加で、若者の比率も増えました。若者の貯蓄率は高く、貯蓄は投資に等しいものであります。中国の30年間におよぶ計画経済は、国家政権によって消費を抑制し、蓄積率は年間36%を保ってきました。「改革・開放」以後の30年間は、蓄積率は下がることなく、45%以上まで上昇しました。これは、人口に占める青年層に理由があります。2019年には人口の高齢化を迎え、中国経済の成長スピードは、5%以下にまで減速します。しかし、中国の教育はすでに成功しており、優秀な人材が十分に揃っています。技術レベルの向上を図れば、中国は中程度の経済成長率を維持することができます。 日本はすでに高齢化問題を経験しています。しかし、日本は技術やインフラ設備が非常に発達しています。中国は15年後、人口における高齢化が顕著となります。もしもそのころまでに技術の発達が果たされなければ、中国経済は急速成長の原動力を失ってしまうことになります。 第四の段階は、工業化資本の原始的蓄積です。30年間で、中国人の平均寿命は68歳まで延び、一人当たりのGDPは50ドルから300ドルに増加しました。工業対農業の比率は1:9から5:5となり、強力な軍事工業と重工業を打ち立てました。 第五の段階は改革開放です。市場化とグローバル化が進み、輸出量は1978年の100億ドルから現在の14000億ドルに増加しました。輸入•輸出量対GDP比は66%ですが、加工貿易による計算の重複を差し引くと、中国の対外貿易依存度は約40~45%となり、それほど高いものではありません。中国経済は内需に依存していることが分かります。外国資本による8000億ドルの直接投資を誘致し、中国の十数種類の重要な産業は外国資本独占の状況となっています。また、少なくとも8000億ドルの国際金融資本も存在し、中国の開放はすでに徹底したものとなっています。この時期のキーワードは中国は社会的利益の主体の多元化を実現 社会は世俗化、市場化し、グローバル化に参入です 第六の段階は富の爆発と有効的な利用です。中国は1998年のアジア金融危機対策に成功し、中国経済の成長や人民元切り上げを予測した国際資本が、大量に中国国内の市場に進出しました。中国はかつてない貨幣的富の爆発によって、株式市場及び不動産業界が高潮しました。国の外貨準備高は1700億ドルから2兆ドルとなり、絶えず上昇する勢いを見せました。個人や企業が所有する外貨を加えると、中国の持つ外貨は、おそらく4兆ドル近くに達したと思われます。これらの外貨は全部海外に蓄えられるもので、アメリカ国債を買い入れたり、または海外向け直接投資をしたり、資本流出の実態は明らかです。それに対し国際資本の流入は3兆ドルとなっています。 このため、中国は資本純流出となっており、国内において貯蓄額が投資額を上回る状況と一致しています。 中国が次の段階で引き続き健全な成長を続けられるか否かの鍵は、富をいかに正しい方向に導くかということにあります。正しい方向とは、国防、インフラ建設、環境保護、科学技術のイノベーション、社会の公平などの分野のことです。2007年に起こったアメリカの金融危機は、沿海地域の労働密集型の製品の輸出に損失をもたらしましたが、中国の経済構造の調整に積極的な影響もあります。多くの調整は、とうの昔に進めておくべきものばかりです。中国には、これらの調整を成功させる力も潜在能力もあり、まずは安定を維持し、それから発展を図ることができます。 中国の株式市場はすでに安定し、単独の相場の動きもあります。不動産も、さらに調整することで安定させることができます。銀行システムの運行は落ち着いてしっかりしており、正しい戦略さえあれば、中国経済はさらに大きな発展の未来があります。 貿易商品の生産率の増加は著しく、非貿易商品の生産率及びアメリカの貿易商品の生産率をはるかに上回っています。そのため、この20年人民元の実質的為替レートは40%上昇しました。しかし名目為替レートの上昇はわずか20%であり、さらに上昇の余地があります。 第七の段階は調和のとれた社会主義社会です。現在、中国における貧困層と富裕層の格差、内陸部と沿海部の格差、農村部と都市部の格差はいずれも深刻であり、調整を進めて収入の分配を改善して初めて内需拡大、経済の持続的発展が可能となっています。これは中国の水利プロジェクトです。中国北部では水不足が深刻な問題となっています。沿海部をはじめとする全国各地で湖を造成、先進的な水のネットワークを設立します。国内のインフラ建設、環境保全、新エネルギー、技術の改新、いずれも巨大な投資が必要となります。 第八の段階は海外投資の拡大と資源供給の確保。中国の近代化には多くの外部資源が必要です。これは日本とも同様です。我々は経済的な安全を高度に重視し、巨額の外貨はまず資源の確保に備え、東南アジアやオーストラリアに集中して投資しています。アジア経済システム、貨幣システム及び安全システムの構築を促します。人民元は香港においてオープンな自由両替が試行されています。またアジアにおいては人民元が流通しています。 これは中国-ASEAN(アセアン)自由貿易地域(AFTA)を促進するために設立された、中国の北部湾開発、北海開発区です。中国と日本は依然として貿易、貨幣及び技術など広範囲にわたって協力できる将来性があります。 第九段階は技術のレベルアップ。中国は15年以内に、すなわち高齢化社会に突入する前に技術のレベルアップを実現しなければなりません。 アメリカの新技術のイノベーションに追いつくためには、第一に、コンピューター及びインターネットを重視することがあげられます。情報化には、マイクロ電子及びソフトウエア産業、コンピューター及びインターネットの普及、デジタルネット技術の活用があります。わが国はすでにCPU「龍芯」の開発に成功しております。超大規模IC、スーパーコンピューター、大型システムソフトウエア、超高速インターネットアクセスシステムの推進に重点を置くというものです。 第二に、バイオテクノロジー分野におけるレベルアップがあげられます。 第三に、新エネルギー分野におけるレベルアップがあげられます。 同時に、中国は伝統的な産業の分野で技術のレベルアップで、ドイツや日本に追いつき、あるいは追い越すことをめざします。 1949~1978年、中国は計画経済及び高度な貿易保護主義政策で軍事重工業を打ち立てました。改革開放以来、市場経済や輸出中心政策に立脚した軍事用産業から民用への変換、外国設備の輸入及び外資の導入、労働力の優位などによって国際市場に進出したことで、産業構造の軽量化が進み、実用技術も発展しました。 市場経済のもと、実用技術は速やかにレベルアップが実現しました。輸出の第一の段階は80年代半ば以前であり、資源密集型の初級製品は輸出総額の50%以上を占め、石油がその25%を占めています。1992年に輸出額が一億ドルを超えた製品のうち、農産物や鉱物が28種、資源密集型(資源消耗率70%以上)製品が20種あります。この48種の製品が輸出総額の46%を占めています。労働密集型(総生産のうち、労働消耗率8%以上)製品が36種あります。中国は資源輸出において比較的優位ではなく、17種類の輸出製品のうち、石油、石炭、建築資材のみが黒字となっています。 第二の段階は80年代半ばから90年代初頭までで、輸出の主体は労働密集型工業製品でした。機械と輸送設備が輸出額に占める割合は1987年の4.4%から1994年には18%に上昇しました。1989年には、工業製品が輸出総額に占める割合は85.6%でした。外国資本による直接投資は加工貿易を促進し、資源密集型製品輸出から労働密集型製品や工業製品輸出への変換の決定的な要素となりました。 第三の段階は1994年以降であり、工業製品の輸出はさらに加工が発展しました。技術及び資本保有量の高い電気機械が輸出のトップになり、1995年は輸出額が435億ドル、前年比37%増加で、輸出総額の29.5%を占め、繊維製品の25%を上回りました。2000年の造船業の出荷額は3000億ドルとなり、輸出の支柱産業となりました。電気機械の輸出計画は1000億ドルで、輸出の40%を占めています。自動車と重機械は、輸出の主要製品になると見込まれています。 中国の伝統的な産業である鋼鉄、有色金属、石油化学工業、電力、石炭、建築資材、建設業、運輸、交通、鉄道、船舶、機械、電子情報、軽工業、紡績、医薬業界などの産業は、国際的な水準より、技術が10~20年立ち遅れています。設備の製造の3分の2は輸入に頼っており、光ファイバーの製造では100%、IC、CPUを製造する設備の85%、石油化学工業設備の80%、自動車、NC工作機械、紡績機械、オフセット印刷機の70%が輸入製品となっています。今後15年間で技術のレベルアップを実現します。2000年に自主的なイノベーションを打ち出して以来、ハイテク開発区は著しく発展しています。 中国と日本の技術協力には、依然として将来性があります。 第十段階は文化の発展と政治改革です。国際孔子学院はすでに50カ国に160校を開校しました。2010年までに、500校を開校する見通しとなっています。
本文は中国政法大学教授楊帆の講演「中国経済発展への展望――中国崛起の十段階」から抜粋された。
人民中国インターネット版 2009年6月
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