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1984年静岡県うまれ。現在、日本国費留学生として、北京大学国際関係学院に在籍。学業の傍ら、中国のメディアで、コラムニスト、コメンテーターを務める。『七日談~民間からの日中対話録』(共著、新華出版社) | 「全国民が読書に励むことを心から願っています。皆さん、地下鉄に乗る際、本を一冊持参してみませんか。知識は私たちにチカラだけでなく、安心感や幸福感も与えてくれる。読書はとても素晴らしいことです」
2月28日、新華ネットと中国政府の公式サイトによる生中継のネット対話に応じた温家宝総理は、こう語った。3月5日に開幕した全国人民代表大会(全人代)の直前という過酷なスケジュールにもかかわらず、温家宝総理は2時間にわたって、新しいスタイルによる国民とのコミュニケーションを図った。
温家宝総理の「地下鉄で読書をしよう」という呼びかけには感銘を受けた。北京という国際的大都市がどのように近代化のプロセスをたどるのかに興味があった私は、とりわけ「地下鉄と市民」というテーマに注目してきた。地下鉄という空間は、市民の「心のさけび」を理解するうえで、いつも「絶好な場所」であった。
北京五輪直前、北京の北西部から東南部へと走る地下鉄10号線が開通して以来、交通の便はかなり改善された。私もほぼ毎日のように北京大学西門から南へ1.5キロほど行ったところにある「蘇州街駅」を利用する。
最近、おもしろい現象を発見した。毎朝、通勤ラッシュの時間帯に、改札口を通過した先で、何人かの配達員が無料で新聞を配布しているのだ。通勤者たちは意識的、あるいは無意識に新聞を受け取り、乗車してから目を通す。そんな光景が今では当たり前になった。
この目新しい朝刊新聞は『北京娯楽信報』(通称『信報』)といい、いわゆる「都市報」である。「都市報」の発行は大都市の中心部に限られ、商業性の濃い新聞だ。
私もほかの乗客同様、手にとってみた。見出しは派手で、カラーを多用している。政治、経済、社会、文化、エンターテインメント、スポーツなど内容は幅広いが、党や政府の政策を宣伝するというよりも、市民の身の回りで起こっている「社会面ニュース」や読者の注意を引きやすい「芸能ニュース」に軸足を置いている。リラックスして、楽しく読めるタイプの新聞である。
『信報』は2000年に創刊され、その後2007年11月に「北京唯一の地下鉄新聞」として再出発した。現在では北京のほとんどの地下鉄駅で配られている。
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地下鉄の車内で無料の新聞を読む若者(写真・李家宇) |
北京市民、早朝の通勤時間、地下鉄利用者という「限定付き」ではあるが、それでも北京ほどの大都市であれば読者層は少なくない。『信報』の広報担当者によれば、部数は20万前後にのぼる。
しかも、乗客の多くは読み終わったら捨てるのではなく、隣に座っている人や会社の同僚に「バトンタッチ」のごとく受け渡す。北京の読者はそういう「したたかさ」を持ち合わせているようだ。 ◇ 『信報』をめぐって、考えることが三点ある。
まず、いいところに目をつけたなということ。五輪からポスト五輪にかけて、地下鉄の本数・利用者は確実に増えるという確信に基づいて、「北京唯一の無料地下鉄新聞」というブランドで勝負している。私の知る限り、便利であれば地下鉄に乗ろうと考える市民、「無料」というサービスにめっぽう弱い人は少なくない。市民にとって、たとえ一元であっても、有料と無料はやはり異なる。
次に、温家宝総理も主張したように、地下鉄の中で知識・教養を磨くという意味で、早朝の無料新聞はポジティブな役割を果たすのではないかということ。東京では、朝昼晩を問わず、地下鉄で乗客が新聞や文庫本を読むのは当たり前の光景であるが、北京はまだまだその域に至っていない。『信報』が登場して以来、地下鉄でモノを読む市民はかなり増えた。今後も増えるだろう。 最後に、『信報』の普及がきっかけとなり、地下鉄内の秩序改善が期待されるということ。私が初めて北京に来た2003年に比べればかなり良くなったが、北京の地下鉄はいまだ「文明的」(マナーが良い)とは言えない。大声で話をしたり、平気で長電話をしたり、においの強いものを食べたり、席の取り合いをしたり、前の乗客が降りる前に突っ込んできたりという状況は、日常茶飯事である。
いずれにせよ、地下鉄、市民、『信報』という三者がかもし出すハーモニーに、今後とも注目していきたい。
人民中国インターネット版
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