解放前の中国は、貧しい国で、教育は立ち遅れ、読み書きができない人々で溢れていた。だが新中国成立後、とくに「改革・開放」政策以後、政府は教育立国を発展戦略の一つとし、さまざまな階層の教育を大いに推進してきた。
今では、読み書きができない人はかなり少なくなり、すべての子どもたちの義務教育が基本的に実現した。
高等教育の発展も目覚しく、大学生は2700万人以上いて、世界で一番多い。人口大国の中国はいまや、人材資源大国へ邁進しつつある。
字を知らぬゆえの悲喜劇
これは新中国が成立する前のことである。
中国の西南部にある貴州省は、貧しい省として知られていた。その貴州省剣河県の久仰郷には学校が一校もなく、村民は誰も字が読めなかった。ある日、県の政府が久仰郷に、村民の某を捕らえて県城まで押送し、牢に入れるよう命じてきた。久仰郷では、某は字が読めないので、彼に手紙を持たせて県城へ行かせればよいと考えた。
某にとって幸いだったのは、県城で友人とばったり出会ったことだった。友人は某が県政府に手紙を届けるのはおかしいと思い、その手紙を開けてみると、県政府が某を捕まえようとしていることが分かった。これを聞いて事情が分かった某は、すぐに逃げてしまった。
これは私が1994年に久仰郷を取材したとき、現地の幹部から聞いた話である。
現代でも、中国には、読み書きができない人がまだいる。
黒竜江省に住むホーチョ(赫哲)族は、魚を捕って生計を立てているが、ほとんどの人が字が読めず、数を数えることもできない。だから彼らは毎年、魚の下唇を一つずつ壁にかけて、自分の年齢を忘れないようにしている。
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甘粛省会寧県頭寨郷葸坪村にある唯一の学校、葸坪小学校の子どもたち(新華社) |
中国東北部の大興安嶺の森林区で鹿を飼い、狩猟生活を送っている内蒙古自治区アオルグヤ(敖魯古雅)郷のエベンキ(鄂温克)族の老狩人も、数を数えることができない。商店で買い物するときは、棚の商品を指で指し、お金をカウンターに置き、売り子にその中から代金をとらせるのだ。
私は「広東の客家」である。客家とは、古代、中原(黄河中下流地域)に住んでいたが、戦乱を避けて南に移ってきた人々である。客家にはもともと教育を重んじる伝統がある。近代になって、広東・嘉応州(現在の梅州市)で布教活動をしたフランス人神父は「ここには7、800の村落があり、7、800の祠堂があり、7、800の学校がある」と驚嘆した。
しかし、客家の住む地域は山が多く、田畑は少ない。土地は痩せていて暮らしは貧しい。そのうえ男尊女卑の旧習が根強く、将来、一家を支える男の子だけを学校へ行かせる。男の子は勉強して官吏となるか、家を出て商売するか、出稼ぎに出るか、軍人になるかだ。だが女の子は、幼いころから山や畑で働き、家事をこなす。彼女らは家族のために私心なく働くが、自分は目に一丁字もない。
私の従姉の栄珍は、美しく、聡明な人で、大きく理知的な瞳をクリクリさせていた。1953年に私が小学校を卒業したとき、彼女は喜んで、私にたった一言こう言った。「小学校を卒業したって。良かったわ」。そう言い終わると、目から涙が溢れ出した。彼女の、あのうら悲しく優しい表情は、今でも深く私の脳裏に焼きついている。私の家に同居していた叔母さんや姉の玉蘭、美蘭も、やはり字を知らなかった。
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山東省莱蕪市の鳳城街道辦事処は、孔家村から2005年に新入学する学生のために400元の奨学金とお祝いの手紙を送った |
統計によると、1949年の中国の非識字者は総人口の80%以上を占め、農村では90%、女性は70%だった。これではどうやって国家を建設したらよいのか、各地の政府は識字運動を大々的に展開した。
私の故郷の広東省蕉嶺県は当時、人口は10万1000人しかいなかったが、そのうち非識字者は4万7000人もいた。このため1950年に全県の448カ所の小学校で、夜間の識字学校を開いた。また、各村でも識字クラスを開設した。
私の村の識字クラスは、帰郷してきた一人の教師が先生になり、真剣に授業をした。夕食を食べ、身体を洗った後、女性たちはたいまつに火を点し、客家独特の邸宅である「囲屋」のホールに続々と集まってくる。子どもを背負って来る女性もいる。彼女たちは石油ランプの下で、「天、地、人、口、手、足」という字から学び始める。女性たちの実力はばらばらで、子どもは泣き出すし、字を学ぶのはなかなか大変だった。しかし、字を覚えたいと渇望していた女性たちがやっとのことで字を覚えると、その後の彼女たちの生活は文化的となり、便利になった。
50年近い努力のすえ、1998年までに中国は2億300万人の非識字者を一掃し、非識字率を80%から15%にまで引き下げた。青壮年の非識字率は5%以下となった。
しかし十数億の人口を有する中国は、各地の経済・社会の発展が不均衡で、疾病や天災、人災などで、また新たな非識字者が生まれることは避けがたい。このため1998年から政府は、辺境地区や貧困地区での識字運動を強化し、毎年200万以上の人々に字を覚えさせた。喜ばしいことには、現在、青壮年の非識字率が4%以下になっただけでなく、字を覚えた人がその後、実用的な技術の育成訓練を受け、労働力の質と自ら豊かになる力を高めたことである。
全国に普及した基礎教育
新中国の成立後、すべてを復興しなければならないため、どの分野でも人材の育成が急務となった。そこで政府は短期の幹部学校や技術学校を開設し、速成の人材養成をはかる以外に、小学校や初級中学校(日本の中学に当たる)を開設し、基礎教育を着実に発展させた。
とくに1952年に土地改革が全国的に完了した後、農民たちは自分の土地を分配されたので生活が好転した。そこで農民たちは、子どもが自分のように読み書きのできない人間にならないよう、学校に入学させた。私の故郷の蕉嶺中学(日本の中学と高校に当たる)では、かつては初級中学部は3、4クラスしかなかったが、1952年には10クラスに増えた。
1953年、私は古い寺院を改築した藍坊小学校を卒業し、僑興中学に合格した。この学校は、蕉嶺県の高思郷出身のインドネシア華僑の寄付で1950年に開設された。完全にはでき上がっていなかったが、二年目から生徒を募集し、開校した。
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江蘇省淮陰師範学院の今年度の本科卒業生たちは、学士服で卒業式に臨んだ |
2008年3月から、遼寧省遼陽県黄金屯村の小学生たちは、国から無料で提供された教科書を使い始めた。遼寧省は2006年から、農村の義務教育段階の子どもたちの雑費をすべて免除している |
当時は、生徒の入学年齢の制限は緩やかで、同級生の中には、11、2歳の少年もいれば、すでに結婚し子どもまでいる人もいた。しかしみな、国づくりの目標を抱いて入学し、勉強に励んだ。
創られたばかりの僑興中学は、施設設備が貧弱だった。学校は静かな環境を求めて喧騒のない、村はずれの昔の無縁墓地の上にぽつんと建てられていた。しかし、山育ちの子どもたちは、苦労には慣れている。学校に入れさえすれば、条件の良し悪しはどうでもよかった。
生徒たちは先生の指導で、放課後を利用し、学校建設の労働に参加した。水道がなかったので、竹の樋で山の泉の水を引いた。運動場がなかったので、山の斜面を削ってバスケットとバレーのコートを造った。先生と生徒たちはさらに食堂や厨房、浴室まで造った。こうした労働は、意志の強さを鍛えるだけでなく、団体精神を育成し、母校の栄誉のために一生懸命勉強しようとみな奮い立った。果たせるかな第1回から第5回までの卒業生の進学試験の結果はどれも、全県の中学の中で一位だった。
新中国になって政府は、少数民族地区の教育にも関心を払った。内蒙古自治区アオルグヤ郷は、1965年に政府が出資して、大興安嶺の森林区で狩猟生活を送っているエベンキ族のために建設した新村である。戸数は100戸、住民は474人に過ぎないが、この郷には民族学校があり、114人の生徒が九つのクラスに分かれて学んでいる。このうちエベンキ族の生徒は45人である。
学費が免除されているほか、毎月、奨学金も出る。23人の教師たちの熱心な指導の下、生徒の成績は優秀で、この郷から毎年、大学や中等専門学校への合格者が出る。
中国は一貫して基礎教育を重視してきた。1986年から中国は、小学校と初級中学段階での9年制の義務教育を実施し始め、立法の面や教員資格を持つ人の養成、教育の視察・監督などの面から義務教育を推進した。
2007年までに、全中国で小学校は32万百校、在校生1億564万人、初級中学は5万9400校、在校生5736万1900人、高級中学は1万5681校、在校生2522万4000人となった。旧中国で教育が最高に発展した年である1946年でさえ、全国に中学4266校しかなかったので、比較にならないくらい発展したのである。
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2009年2月、河南省新蔡県宋崗郷の「留守児童」、つまり親が出稼ぎに出て農村に残っている子どもたちは、「留守児童」託児センターから新学期の課外読本をもらった |
中国語の「義務」には「無料」という意味もあるが、義務教育と言っても、その当時はまだ教育費の無料化は実行されていなかった。子どもたちは相変わらず学費や雑費を納めなければならなかったし、都市に出稼ぎに来た農民工の子女は、都市の学校で学ぶのに、学費や雑費のほかに年に一回、高額な「借読費」という特別費用を払わなければならなかった。こうした義務教育の状況について「空中高くつるされた水密桃、誰も手が届かない」と皮肉る人もいた。
確かに、二億人もの子どもの学費や雑費の総額はかなりの額になる。しかし、人材の養成や教育立国の大計、教育の機会均等、社会的公正を考慮して、政府は2006年から、まず中西部地区の農村で、小学校と初級中学の学費と雑費を免除し、その後、それを次第に東部地区と都市部にも拡大した。そして2008年の秋までに、全国の農村部の1億5000万人の小学生と初級中学生の学費と雑費、教科書無料がついに実現し、さらに1100万人以上の児童生徒が寄宿舎での生活費補助を受けられるようになった。同時に、都市部の2821万の小学生、初級中学生の学費と雑費が免除された。これによって全国民の義務教育が、真の意味で実現したのである。
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